草稿:アフターコロナの世界では、「送りっ放し」が最強のコミュニケーション方法である

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少し前に「人間や人生の本質というものは、あまり変わらないのではないか」と書いたのだけど、上層の部分は色々と変わっていくはずなので、それについて書きます。

とりあえず、後で探せなくなってしまう前に、今日連ツイしたものを貼っておきます。

あとで頑張ってちゃんとした記事にまとめたい。

新型コロナの影響で、仕事先の人間とのプライベートな人間関係が断絶されたし、近所との人間関係は元々終了していたので、これからのプライベート空間は、SNSやグループチャットでつながっている閉じられた世界になっていく
あとはせいぜい、趣味のコミュニティぐらいか? どちらも基本的には自分が選んだ相手としか接触しない。みんな世間が狭くなり、多様性に触れる機会が減っていく
インスタの世界観は、これに近い。自分が選んだ心地よい情報しか存在しない世界。インスタは、最終的にはコメント欄を無くすべき。あるいはトピ主以外は見られなくすべき。コメント欄でのコミュニケーションが無い方が快適なはず。
自分の世界がどんどん縮小していったとして、それが面白いか? と問われれば、ツマラナイとしか思えない。友達が半分以上死んでしまった老人の世界観がこれに近い。「早くお迎えが来て欲しい」というアレ
1つの出来事に対して、自分が属する世界によって、反応や解釈が異なるという事が普通になる。世界は閉じているから、違う世界の人の考えが理解できない or 苦痛になる。今のSNS界隈における政権批判 or 賛同って、まさにこんな感じだ
そういう社会になった時、複数の世界を渡り歩き、違う世界の情報をもたらしてくれる存在は必要だ。これは昔は旅人の役割だった。でも複数の世界を相手にするのは難しいし、それぞれの世界に濃密に関わるのはもっと難しい。それぞれの世界からちょっとずつ距離をおく必要がある。スナフキンのように
複数の世界にまたがって活動を続けるのは、高度なスキルが必要な割に、リスクヘッジや現実逃避以外のメリットがあまりない。それぞれの世界からの報酬もあまり出ない。旅人が定期的にやってくる事は世界にとってメリットがあるが、物理的な移動がなくなった今、それをうまく再現できなくなった
かつて「世界」は物理的な距離に隔てられていた。国や集会場、地域、居酒屋などだ。物理的な距離が消滅した後の世界は、コミュニティの輪に入るという心理的な距離に変化した。しかしこれは、出入りがとてもしにくい。よそ者をどうやって信頼すれば良いのか、パスポートを誰が発行するのか?
旅人が絶滅危惧種になってしまった後、何が残るのかといえば「放送」だと思う。「送りっ放し」的な情報発信、コミュニケーションスタイル。複数の世界にまたがって、あまり差し障りの無い情報を発信するスタイル。批判されにくい仕組み的にだから効率も良い。YouTubeがこれに近い。
YouTubeでなぜ批判が少ないか、あっても影響が限定的なのは「映像」という同じ土俵で反論するのが大変だから。批判はあってもコメント欄か外部のSNS。その気になれば無視し続ける事も可能。また発信する方はLIVEも可能で、批判をLIVEでするのは難しい
こう考えると、ハリウッドセレブが当たり障りない「応援コメント」や慈善活動をするのも、一定の合理性がある。薄く広い認知向上活動(宣伝)の上に、彼らの生活は成り立っている。自分の活動にとって、それが一番効率が良い。
日本のタレントやアーティストがテレビで「おバカ芸」をやらされるのも、「如何にして当たり障りない発言を続け認知を向上させるか」が彼らの活動の本質だと考えると分かりやすい。田舎のお年寄りが「つまらない床屋談義」を続けがちなのも、合理性がある。小さい世界で生き残る必要があるから
世界が小さく分断されてしまうと、自分の属する世界に向けたインパクトのある偏った発言か、複数の世界に向けた薄くあまり中身の無い発言以外は受け入れてもらえなくなっていくのだろう。前者は狂信的な独裁者、後者はハリウッドセレブ。なんとなくだけど、トランプは両方を同時に体現している気がする
テラスハウスの出演者が亡くなった件、ネットの誹謗中傷が原因だとするなら、自分の「世界」が急激に大きくなり、また、自分が所属していた世界とは違う世界に足を踏み入れてしまった結果の悲劇と僕は感じる。お悔やみ申し上げる。これは今後を行きていく多くの人が直面する問題だろう
世界は放っておくと、どんどん小さくなる。だからといって、急に世界を広げたり、別の世界に足を踏み入れたりするのは、危険だ。それぞれの世界には、それぞれのルールがある。例えとしては微妙だけど、腐海に生きるなら、腐海の掟に従う必要がある。ルールの先に、何が待っているのかは分からないけど
広げた風呂敷をそろそろ畳みたい。 1:今後「世界」は閉じた方向に向かい、1つ1つの世界はどんどん小さくなる。世間ではなく、世界 2:物理的な距離が消滅した今、新しい世界に加わる難易度が上がった 3:複数の世界にまたがって活動するのは難しいし、危険だ
4:小さな1つの世界にだけ所属していると、セーフティネットがなくなってしまう 5:放送、つまり「送りっ放し」のスタイルが、複数の世界にまたがって発信する場合、効率が良い。反論も受けにくく安全 という事を総合的に勘案するならば(続く)
今後、個人が安全に生き残っていく為には、2〜3のごく限られた世界に所属し深めにコミットしつつ、外部に向けては「送りっ放し」の情報発信を続け、外部からの新しい参加者をゆるやかに増やしていく、というのが一番効率が良いのではないか? なんだかコミケ的な世界観
同人誌は「反論がしにくい」という点では、YouTubeよりも強い。そもそも限られた人しか買わないし、買うのは基本的にファンか、ファンになりたい人だから。まぁ「手にとってもらう」というハードルを乗り越えた人だけが得られる世界だけど
同人誌モデルに気づけたのは案外良かった。そう考えるとYouTube以外にもオンラインサロン/ファンクラブ的な世界観も良いのではないか、と思えるようになってきた。ただ、有名人以外では、課金するのが難しい。一般人がここを広告モデルやクラファンで回すのは、とても難しい。いや、不可能だろ
ただ、プラモショップなど趣味性の高い店は、今後はオンラインでの活動/販売がメインで、クローズドな課金 and 集客の場としてリアルなお店がある、というのがバランスが良いのではないか? あ、これイベントBarエデン的な世界観だな
僕は「シェアハウス界隈」という、「ふわっとした緩やかでオープン指向」のコミュニティに属しているので、もう1つぐらい、例えば「閉じた濃密なコミュニティ」に属した方が良いのかもしれない。普通の人にとってはそれが「家庭」なのかもしれないが。どんなのがいいんだろ?
田舎の濃厚なコミュニティも良いな、と思ったけど、リアルな場所にしばられちゃうと、僕には継続が難しかった。きっと家族・家庭でも同じ事が起こるのだろう。自分が所属すべきオンライン上の濃密な世界、コミュニティ、何がいいんだろ。あ、離婚2回したのは違う理由なんでゴッチャにしないでね
新型コロナ騒動が始まった初期に落合陽一さん( @ochya
)の「疎と密」という考えを知り、好感をもった。僕はそこに「濃密」と「横断」を持ち込みたい。たぶん、それが僕にとっても希望なのだろう。自分なりの希望が見つかって良かった。みんなも自分の希望を探そう。お手伝いするよっ!
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