緊急事態宣言から1ヵ月後の脳内と今後の展望

思いつき

新型コロナウイルスの影響で史上初の緊急事態宣言が発令されてから1ヵ月、恐らく最初で最後の延長がなされようとしています(もしかしたら秋以降に再発令もあるかもしれないですが)。

緊急事態宣言が発令された後の自分の日常や気分を、僕は YouTubeにほぼ毎日投稿し続けてきました。

内田勉の成長記録
内田勉の新しい知見を惜しみなく披露していく番組です。不定期更新

映像はその日の気分をよく反映しているのですが、何を思い考え行動しているのか、頭の中までは表出してくれません。だから、この辺で一度、僕の頭の中、そして今後への思いや考えを文章としてまとめておこうと思います。

前置きが長いので、本題から読みたい人は、こちらをクリックお願いします。

ちなみにBGMは、あいみょんの「裸の心」。ちょっと中島みゆきっぽい所が、今の時代をよく反映していると思います。まぁ、作ったのは2017年みたいだけど。

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そもそも僕は「新型コロナっていったって、年寄りが死ぬぐらいで自分らの世代にはあんまり関係ない、ちょっとタチの悪い風邪みたいなもんでしょ」ぐらいの認識でいました。その認識を一変させたのが、横浜市立大学データサイエンス学部、佐藤彰洋教授の「COVID-19情報共有」というページでした。初めて読んだ4月3日の衝撃を、今でも覚えています。

COVID-19情報共有 — COVID19-Information sharing – By Prof. Dr. Aki-Hiro Sato

佐藤教授によれば、新型コロナウイルスの感染者数は、線形的に増加するのではなく、指数関数的に増加していくのだといいます。つまり、1、3、5、7、9という増え方ではなく、1、10、100、1000、10000という増え方です。

COVID-19情報共有から引用
COVID-19情報共有から引用

今では佐藤教授のシミュレーションの数字と実際の数字で乖離が起きているのがハッキリ分かりますが、途中までは実際の感染者数がキレイにこのグラフをなぞっていました。僕は驚愕し、恐怖しました

その夜、今度は「8割おじさん」としてすっかり有名になった、北海道大学、西浦博教授の「人との接触の8割減が必要」との主張を日経新聞の記事で知りました。こちらも同じ様に指数関数的増加の話が中心で、複数の専門家が「感染者数は指数関数的に増加する」という主張しているので「こりゃ〜マジだ!!」と思いました。

今となって振り返れば、1ヵ月前の僕は「指数関数的増加」も知らないぐらいの無知でしたが、自分的にはこの辺りで「日本でも数千人〜数万人ぐらいの死者が出て、非常に悲惨な結果になる可能性が高い」と最初の判断をしました。

僕は報道番組のディレクターをしていて、なおかつシェアハウスの運営もやっています。どちらも感染のリスクが高く、なおかつ、万が一誰かにうつしたら大変な事になる仕事です。それだけは避けたいと思い、住んでいたシェアハウスを出て自分1人で別室にこもる「自主隔離」を始める決断をしました。

幸い、Web制作の仕事は以前から2週間に1度ですが在宅勤務体制を取り入れていて、完全な移行は無理でしたが、かなりの部分、出社を減らせました。

もちろん「最悪シナリオ」だけでなく、「楽観シナリオ」もありえます。ただこの場合、最悪を想定しておけば間違いはなく、楽観シナリオになった場合、「あ〜、あれはちょっと大げさだったな」と笑えば良いだけの話なので、僕は自分なりに考えた「最悪シナリオ」に即した行動をとる事にしました。

そこからの動きは早く、まずは6月から新宿で始める予定だったカフェ&BARの計画を中止し(迷惑かけてごめんなさい)、浅草周辺で旅館業をやっているズミシーに連絡。新型コロナの影響でガラガラになっているホテルの一室を格安で貸してもらいました。ここは元々アパートだったのを改装した物件で、通常のホテルとは違い、入口が各部屋にあるのが好都合だったのです。

格安で貸してもらったホテルの一室
格安で貸してもらったホテルの一室

それと並行して、シェアハウス内で感染者が出た場合の準備として、おかゆや解熱剤、手袋やアルコール代わりの台所用漂白剤などを買い揃えていきました。

シェアハウス用に買った手袋など
シェアハウス用に買った手袋など

さらに、万が一医療崩壊が起きた場合、シェアハウス内で感染者が出ても入院できず放置(自宅待機?)させられる未来が容易に想像できたので、感染後に移動してもらう為の空き家を確保。そこに移動してもらうにしても公共交通機関が使えないので、僕がレンタカーを借りて運ぶ事を想定し、その際に使用する防護服も調達しました。

防護服はさすがに大げさかなとも思ったのですが、シェアハウス内で感染を広げないようにする為の移動で僕自身が感染してしまったら意味がありません。それほど高いものでもないし、とにかくワーストケースに備える為の投資と割り切ってお金を使いました。なんだかんだで20万円以上かかりましたが、ま、仕方ありません。

その後の事は、YouTubeに逐一記録してあるのですが、簡単にいえば、まず最初は生活の基盤を作る事に追われ、その次は引きこもり生活にメンタルをやられそうになり、Afterコロナの世界はどうなってしまうのか、大恐慌は来るのか来ないのか、という事に怯えていました。

なんとなく「コロナの第一波は凌いで、悲惨な結末は迎えずに済みそうだぞ」という希望を持ち始めたのが4月下旬、それが確信に変わったのがGWに入ってからでしょうか。時間が下ってからこのブログを読む人には信じられないでしょうが、本当に毎日状況が変わり、油断ならない日々が続いていました。

そして今日、2020年5月6日という日を迎えます。

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ここで少し話が横道にそれます。

僕が生まれて40数年ですが、その間にもいくつもの天災や人災が発生してきました。阪神大震災やオウム真理教事件は、自分も(駆け出しでしたが)報道に携わったので良く覚えています。東日本大震災やその後の福島第一原発事故などは、発生からまだ10年も経っていません。

地震発生直後の事務所。徹夜明けで地震発生の10分ほど前まで、机の下に寝袋で寝ていた。プリンターが落ちてきた辺りに頭があった。
地震発生直後の事務所。徹夜明けだったので地震の30分ほど前まで、机の下に寝袋で寝ていた。プリンターが落ちてきた辺りに頭があった。

極めて重大な天災・人災ですが、同時に、僕にとってどこか「他人事」であったのも事実です。身内に死者はいませんでしたし、放射能という「見えない敵」に対する恐怖も、当初の爆発やメルトダウンが収まってしまえば「30年後に癌になる確率が数%上がるかも」という程度で、まだ未就学児だった娘への対応を別にすれば、割と冷静に対処できたと思います(喉元過ぎればナントヤラ、という感もありますが)。

しかし、今回の新型コロナは、遂にやってきた「自分ごと」であります。しかも初めてのパンデミック経験。「自分が他人を感染させてしまうかもしれない」という恐怖と直接向き合わなくてはいけないというのは、とてもやっかいな事でした。また、原発事故の経験から「見えない敵はやっかいである」という自分なりの経験則も精神を痛めつけてきました。

こうこうしているうちに、少し遠めの知人やテレビ業界で一緒に仕事をしてきた仲間が複数感染し、新型コロナの恐怖がすぐ近くまで迫ってきました。友人の看護師さんからは「医療関係者の肌感覚だと、第二次世界大戦でいえば、グアム・サイパンが陥落して、本土爆撃も近い」という話を聞かされ、いよいよ医療崩壊もやむなしか、と覚悟を決めていました。

ただ時を同じくして「各国で死者が1万人を超えると、その国の感染者数の増加がゆるやかになっていくな」と僕は感じ始めていました。ロックダウンする影響もあるのでしょうが、何か違う要因があるのではないかと思いました。また、日本の感染者数も指数関数的な増加とは言えないなと思うようになりました。もっとも、確信という所まではいきませんでしたが。

そして指数関数的な感染爆発は起きないまま、緊急事態宣言が延長される日を迎えようとしていいます。まぁ、油断はできないのですが。

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同時並行で2つのオンライン飲みに参加した時の様子
同時並行で2つのオンライン飲みに参加した時の様子

さて、ここからようやく本題に入るのですが、緊急事態宣言下で、AfterコロナとかWithコロナといわれた「これからの世界は以前とは全く異なるものになる」という見解に、現在の僕は、少し懐疑的です。

確かにテレワークの普及は、人類史上初めての出来事でしょう。社会の分断や移動の制限も大きな影響を与えるでしょう。

しかし僕は「人間や人生の本質というものは、あまり変わらないのではないか」と思うようになりました。

僕がここでいう「人間や人生の本質」とは、まず第一に自分の命の存続が大前提であり、次に家族・友人が大切であり、生きる糧となる仕事が必要であるという事です。

そもそも数千年前、都市というものが誕生した時からペストやコレラ、インフルエンザなどの感染症(疫病)は人類につきまとってきました(それ以前、家畜を飼育するようになった頃から、という説もあるようです)。中には全人口の何割かが死亡するという「人類存亡の危機」に近い大流行もあったようです。

つまり、感染症の流行は「よくある事」なのです。スペインかぜは、たった100年前の出来事ですし、結核に至っては現在も国内だけで毎年16000人が感染し、2000人以上が亡くなっています(去年、僕の友人も結核に感染し長期隔離されていました)。

そういう目線で考えるならば、新型コロナウイルスで数十万人が亡くなったところで人間の根幹に与える影響など軽微であると言い切っても構わないと思います。

六本木駅からは人が消えた(4月11日)
六本木駅からは人が消えた(4月11日)

そして疫病の大流行は、世の中に数々の変化をもたらしてきました。

国が傾いたり戦争が起きたり、はたまた疫病のせいで戦争が早く終結したりといった事はしょっちゅうありました。

しかし、政権や覇権国家が変わろうとも人類の根本は揺るぎません。源平合戦で源氏が勝っても平家が勝っても、人間のあり方そのものが変わる事はありません。

文化・科学面について言えば、ルネサンスはペストを退治できなかったせいで教会の権威が失墜し、さらに死者が沢山でて労働力が不足したせいで荘園制が破綻した結果であるとされます。ニュートンの3大業績(万有引力、微分積分、プリズム)は、ロンドンでペストが大流行し、やむを得ず帰省した最中に発見したとされています。奈良・東大寺の大仏は天然痘の大流行がきっかけとなって建立されました。

ルネサンスは人類の歴史に残る変化ですが、ではそれで人類の根本が変わったかというと、そうではないと思います。「そんな時代もあったよね」という程度です。

ニュートンの偉業は科学を根本から変えましたが、それでも長い人類の歴史からすれば、科学の発展過程の一コマでしかありません。

同様にテレワークの普及は、労働の概念を大きく変えますが、その影響はインターネットや携帯電話(スマートフォン)の普及ほどではないはずです。20世紀に生まれた人なら、それらが普及する前の世界を知っていると思います。「便利になったけど、人生が根本から変わるほどではない」と思いませんか?

4月19日の近所の公園の様子
4月19日の近所の公園の様子

誰かに会いたくなったり、外を歩きたかったり、食事をしたり、酔って騒ぎたくなったり、子育てをしたりという人間の根本的な部分は、何も変わらないのです。これは同時に「人間はあまり進歩していない」という事でもありますが。

また、経済(仕事)の概念も「基本」からそれほど変化はないのではないかと思います。

基本とは即ち、「安く仕入れ、高く売る」とか「誰かの役に立つ」とか「自然の恵み(農業・漁業・鉱業など)を受け取る」とかです。

テレワークは労働する場所の自由を(ある程度)与えてくれますが、先程の基本原則の上に成り立つものです。しかも恩恵を被る事ができる人は限定的です(便利になりたい、楽をしたい、という基本原則もあると思いますが、ここでは一旦おいておきます)。

かつてのモータリゼーションはテレワークと同じぐらい、あるいはそれ以上に「移動」の概念を変えました。しかし経済の本質には、何ら影響を及ぼしていないはずです。

(余談ですが、個人的にはAI技術の進歩の方が、経済に与える影響は大きいと僕は考えています。農業の発明に匹敵する、と考える人もいます)

もちろん人間や経済は、基本原則だけで出来ている訳ではありません。沢山の改良や応用が必要です。ただ、改良や応用の部分に大きな変化が起き、揺らいでいるのですから、改めて基本・根本が注目されるのは当然の帰結だと思うのです。

健康に気を遣ったり、家族の絆を感じたり、自然をありがたく思ったり。仕事だったら無駄な会議を減らしたり、通勤は必要なのか考えてみたり、みんなでちょっと勉強して最新の技術を導入したりといった事です(ハンコを無くせ、なんてのもありましたね)。

人や物の移動コストが上がるので、食料や工業製品はできるだけ自給する方向になると思います。そもそも、大半のものは身の回りで作られ、消費されていたはずです。

しかし、繰り返しになりますが、それらは本質的な部分の変化ではないはずです。

日本には江戸時代やそれ以前から続くお店や祭りが沢山あります。相撲の起源は古事記まで遡ります。こういった政治体制が変わっても、科学技術が進歩しても、戦争に負けても続いているものは人間の本質に近い部分を体現していると言えるでしょう。

世の中の基本原則、根本的な要素に対する新型コロナの影響は限定的、という結論に至ってから、僕の心は穏やかです。そもそもの基本や根本に立ち返って考えれば、大きく判断を誤る事は無いのですから。

これから先の数年間、自分や周囲の人間の健康と、一時的なショックに足をすくわれないように注意を払えばそれで十分で、その先は恐らく、表層以外は今までと同じような日々が戻ってくるものと、僕は考えています。

そうと分かれば、本質的な価値を大事にするだけです。やっていきましょう!

4月25日の仕事風景
4月25日の仕事風景
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