建国への道その5:上毛町での出会い

「経済的に安定した独立国家を作る」というのが、自分の中・長期的な目標なのですが、いったい何をやろうとしているのか、どうやって実現しようとしているのか良く分からん、という人も多いと思うので、その辺の事を少しずつ説明していきたいと思います。

その1:原点」、「その2:気付き」、「その3:自給自足との出会い」、「その4:シェアハウスとの出会い」に続く5回目は「上毛町での出会い」です。具体的に行動を起こす下地のようなものが、そろそろ出来始めてきます。

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2013年8月、僕は小学生の娘と共に福岡県上毛町を訪問しました。そこで出会ったのが、西塔さん夫妻です。きっかけは偶然で、ホテルを使わずに誰かの家を泊まり歩く旅行をしようとした際に、友達経由で紹介してもらったのです。その時に感じた事の一部は、colishラボに「“住み開き”で田舎に居ながら全国と交流する家『有田山荘』」として記事にとして公開してあります。

東日本大震災直後、店の棚からどんどん商品が消えていく事に衝撃を受けた夫の大海さん。気仙沼市でのボランティア組織立ち上げなどを経て、地域活性の研究者だった妻のともみさんと2人で棚田が広がる上毛町に移住してきていました。

西塔夫妻は、山間のあまり使われなくなっていた別荘を格安で借りて住んでいました。そして、そこでの生活は実に豊かなものでした。

まず家が広いので客が泊まる事ができます。お陰で西塔家はいつも千客万来です。山で採れた鹿肉や庭先で育てた野菜が「沢山あるから分けてあげるよ」と、近所の人から届きます。もちろんお礼はしますが、お金ではなく別の形でします。だから人間関係が濃密です。地域の人みんなが知り合いみたいなものなので、車ですれ違うとお互いに軽く会釈します。遠くを見渡せば、天気の良い日には瀬戸内海が見えます。

何にもないけど、それが気持ちいい。上毛町はそんな場所でした。ここでは物事がシンプルに動いていました。

実際には、豊かな自然の恵みと、ゆったりとした時間、顔の見える距離の人間関係がその心地よさを生み出していました。田舎はいいなぁと、田舎出身の自分が思いました。

僕が生まれたのは埼玉県加須市という所で、関東平野の真ん中の田んぼばかりの街です。青々と広がる田園風景は美しいけれど、あまりにも変化が無い。自然は豊かだけど単調で飽きてきます。上毛町には山があり、少し行けば海もあり、温泉もありました。これは少し後になってからの事ですが、どうせ建国するなら最低でも山か海がある場所にしようと思うようになりました。

ただ、色々捨てて九州に移住する事は今の自分には難しい。だとしたら上毛町のような場所を東京の近くに作りたいな、という気持ちが自分の中に芽生え始めたのです。

ほかにも上毛町では素敵な人に沢山会ったのですが、今回は割愛。続く。

イスラム国を理解してみる

仕事でイスラム国の宣伝ビデオを観ていたら、吐き気がする残虐な映像の合間に、楽しそうに銃を掲げる若者の姿が映っていました。彼らの目が、実に活き活きとしていました。人工的に演出されたのではない充実感、高揚感のようなものが映像からにじみ出ているのです。

これは単なるテロ組織とは違うのではないか。僕は直感的にそう思いました。

資本主義にも民主主義にも解決できない何かが、彼らをイスラム国に駆り立てている。その理由を知りたいと思いました。

彼らがテロ行為を行っているのは間違いない。だからといって、相手の事を理解しようともしないのでは、問題は解決しないでしょう。

 「奴らはテロリストだから、ぶっ殺せ」

そういう考え方は、西部開拓時代にインディアンを迫害していった歴史そのままのような気がします。

当たり前だけど、彼らは同じ人間です。何らかの行動理由があるはずです。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時
そこで、本を読んで勉強してみたわけです。「イスラム国 テロリストが国家をつくる時」という本です。

読んで分かったのは、彼らが実に合理的に行動し、イスラエル建国にも似たストーリーを今彼らが歩んでいるという事。荒廃した地域にインフラを整備し決算書を作成するなど、ちゃんと国家運営をする意志がある事。さらに彼らが同胞の対象としているのはスンニ派のムスリム全体で、世界中にイスラム国の国民になる候補者がいるという事。そしてあと数年すれば、本当に国家として主権を確立してしまう可能性があるという事です。

虐げられると感じるムスリムにとって、自分達の手で理想の国づくりが出来る可能性があるなら、これは参加してしまうな、と正直思いました。

今、日本では人質事件でイスラム国に注目が集まっています。しかしそれは彼らにとっては単にビジネスでしかなく、それほど重要な事ではないのでしょう。人質が助かるかどうか、日本政府がどう対応するかも必要な事ですが、もっと本質的な部分を仕事でも伝えていきたいと思いました。なかなか難しいけれど。

クラウドファウンディング会議で講師しました

クラウドファウンディング会議
クリエイターズシェアハウスTOLABLで開催された「クラウドファンディングはもっと普通のクリエイターや アーティストが使ってもいいんじゃないか会議(長っ!)」で、サブ講師を担当。テーマは例によってプレスリリースの書き方など。

最近はアーティストさんも自分のWebサイト作ったり、ブログ書いたり、クラウドファウンディングしたりと、やる事が一杯あって大変です。でもその代わり、昔だったらアーティスト活動を続けられなかった人たちも、うっすら食えるようになってきているように思います。

クラウドファウンディングがもっと普及したら、自分の夢に向かってチャレンジする人がもっと増える。そういう世の中はきっと、今よりも少し良い世の中だと思います。そういう気持ちもあって、お手伝いさせていただきました。

ちなみに第3回はこちら
https://www.facebook.com/events/1536091029976995/

建国への道その4:シェアハウスとの出会い

「経済的に安定した独立国家を作る」というのが、自分の中・長期的な目標なのですが、いったい何をやろうとしているのか、どうやって実現しようとしているのか良く分からん、という人も多いと思うので、その辺の事を少しずつ説明していきたいと思います。

その1:原点」、「その2:気付き」、「その3:自給自足との出会い」に続く4回目は「シェアハウスとの出会い」です。少し具体的になってきましたが、確信に至るのはまだまだ先です。

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2012年7月末、東京都練馬区に40室の大規模シェアハウスがオープンしました。x-gardenという名前で、起業家向けのコンセプト型シェアハウスという事でした。当時、新規事業の構想を練っていた僕は、オープンとほぼ同時にそのシェアハウスに入居しました。同じような起業家が集まる家に住めば、新規事業のアイデアが色々湧いてくるだろうと思ったのです。

初めてのシェアハウス生活は実に楽しいものでした。詳細は省きますが、結局、僕は新規事業のアイデアを練るよりも自分でシェアハウスを運営したくなり、わずか半年でそこを出て、自分でシェアハウスの運営を始めてしました。

シェアハウスの良さは色々ありますが、この時に気づいたのはシェアハウスというのは物を共有(シェア)する機能よりも、人と人がつながる機能の方が遥かに重要だという事です。言ってみれば時間と空間と一緒に共有しているような状態なのです。

様々なバックボーンを持つ人たちが、1つ屋根の下で少しずつつながり、お互いにゆるく柔らかく助けあいながら生きていく。そこでは、1人で生きていかなくてもいい。むしろ、他人と積極的に触れ合う事によるポジティブなフィードバックがうまく機能していました。

誰かの為に何かをすると、それが良きにつれ悪しきにつれ全部自分に帰ってくる。都会では失われてしまった地域のコミュニティのようなものが、そこでは実に活き活きと存在していました。リアルSNS的な世界がそこに構築されていく様を僕はまざまざと見たのです。

また、シェアハウス内では、独自のルールを作り運営する事が出来るという事も気がつきました。僕が住んでいたのは「起業」がテーマのシェアハウスでしたので、隣で食事をしている人に突然、事業のアイデアについて意見を求めたり、夜の12時にみんなで集合して会議スタート、なんて事が普通に行われていました。シェアハウスは1つの独立した共同体なので、世間とはちょっと違ったルールが成立するのです。

「世の中全員に適用する事は難しいけれども、一部の人の間では実にうまく機能する」というようなルールを独立した共同体で運用できれば、生活は実に快適になります。僕は自分のシェアハウスのルールを性善説に基づき構築し、それなりにうまく機能しています。ある種のユートピアを作れる可能性がそこにあるのではないかと思うようになりました。

続く

こぐすんが卒家

カボチャパイを切るこぐすん
こぐすんこと小薬達也さんシティファーム南砂を卒家しました。

こぐすんとの関係を何て言ったらいいのだろう、と、一晩ずっと考えていたのだけれど、なかなか結論が出ませんでした。敢えていうなら友達でもない恋人でもない、別の何か。僕の中ではこぐすんはこぐすんで、他に良い表現が見つからない特別な存在なんだな〜と今更ながらに再認識した次第です。

客観的に言えば、こぐすんは僕の人生において家族を除いて一番長く寝食を共にした人間です。約2年間、晴れの日も雨の日も雪の日も、こぐすんと1つ屋根の下で人生を共にしていました。2年間というと僕の人生の約5%ですが、感覚としてはもっとずっと長くて、人生の3分の1ぐらいは一緒に居た気がしています。

こぐすんの出会いは偶然で、たまたま同じシェアハウス(x-garden)に住む事になっただけです。今でもハッキリ覚えているのは、こぐすんが引っ越して来る時、「2年後に起業予定の人が新規に入居してきます」と案内があったのですが、その際に「なんじゃそりゃ。2年後とか生ぬるい事を言ってる奴は起業なんてやめちまえ!」と思った事です。

そこをお互い同時期に出て、シティファームの前身「ナインステージ」で一緒に住むようになった当初も、それほど仲良しという訳でもありませんでした。それが何でこんな余人をもって代えがたい深い関係になったのかは良く分かりません。まさにシェアハウスのマジックというしか無いのだけれど。

「コグ」と名前入りのパイ

こぐすんとは一緒に温泉に行ったり山に登ったりイベントを開催したりしたけど、自分の中で一番印象に残っているのは、色んな人生相談をした事です。一回りも年下を相手になんだけど、とにかくこぐすんには色んな相談にのってもらいました。外が明るくなるまで話をした事も数知れず。よくつきあってくれたな〜と今更ながらに思います。まぁ主に恋バナだったりするのは、ご愛嬌ですが(笑)

結果的に、当初の予定通り約2年後に起業する事になったこぐすん。これから大きく成長して欲しい気持ちもあるし、あまり遠くに行かないで欲しいという気持ちもあって、ちょっと複雑です。