【そのとき、わたしは「恋」を信じられない】というブログを読んだ話

https://twitter.com/N908Sa
たまたま twitterの画面を見ていたら「おすすめユーザー」のところに元LIGのさえりさんというライターの方のアカウントが表示されて、面白そうな人だったのでフォローしてブログを読んでみようと思った。

最近の一覧を見ると【独立して9ヶ月】2016年を振り返ってみますというエントリがあり、どんな文章を書いてる人なのかザーッとタイトルを眺めて、気になったものを読んでみた。

恋なんていう曖昧なもののせいで選択を変えるなんて、最高じゃん

このエントリは、さえりさんの先輩が書いた旅と恋(この2つは似ている)に関するブログを読んだ時の感想なのだけれど、さえりさんは先輩のブログを読んで涙が出そうになったらしく、僕も同様に涙が出そうになって、とても印象に残った。なぜか2日経ってもブラウザのタブを閉じられないぐらい引っかかっているので、こうして書き留めておこうと思ったのだ。

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さえりさんの先輩(女性)は、「大事な人」が出来た直後、夢だった世界一周の旅に出るんだけど、その人が(恐らく寂しそうに)「1度帰ってきてほしい」と言ったのをキッカケに、躊躇なく旅を中断し日本に戻ってきたのだという。

その時の心境を先輩は、こう書いている。

辛い時に、そばにいない。
そんなシンプルなことが、壊れてしまう、確かな理由になる。
人間は、そんなに強くできてない。

そして日本に戻り「大事な人」と過ごす愛おしい毎日。先輩は、何度も旅をやめてしまおうかと思ったそうな。その後に、先輩はこう綴っている。

それでも、私は旅に出ることを決めた。

「人間は、そんなに強くできてない」と「それでも」の間に、一体何があったのだろうか。その理由について、ブログの中で一応は語られているものの、それほど具体的な描写ではない。その後、先輩は再びこう綴る。

それでも。
彼とさよならをした。

「それでも」という、ある種の凛とした決意を秘めた言葉を敢えて2回使う事の意味。これは、色んな説明をすべて省略して出てきた言葉だ。その心情を、さえりさんは的確に書いている。

自分の欲求に忠実に生きたい、というのが難しいときがある。それは勇気の問題だけではない。欲求はしばしばぶつかり合うからだ。
「好きだけど、別れたい」
「知りたいけど、知りたくない」

さえりさんは、選択は大抵自分の中にある信念に基づいて行われる、とした上で、こう続けるのだ。

そのとき、わたしは「恋」を信じられない。

恋なんていう、その日によって変わってしまう可能性がある曖昧なものよりも、自分の中にある信念の方を選んでしまうのだという。

でも僕は、そういう事ってあってもいいし、それは恋に限らないと思うのだ。

夢や理想や義理や人情だって、その時々で変わってしまうフワフワとしたものだと思うのです。なんなら科学の理論だって、コペルニクス的展開というように、時には変わってしまう事だってあるのだ。一貫性はあるに越した事はないけれど、人の気持が変わって何の罪があるだろう?

それよりは、夢だった世界一周を中断したり、「大事な人」の側に居たいのに再び旅に出てしまうような矛盾を、僕は支持したいと思うのです。間違っていたと気づいた時に「ごめん」といえる勇気と素直さと潔さを支持したいと思うのです。

世の中に終始一貫して変わらないものなど、どれぐらいあるのだろうか? 世の中自体が変わっていくというのに。

最後にさえりさんは、ブログのタイトルと同じ言葉を記している。

恋なんていう曖昧なもののせいで、自分の選択を変えるなんて最高じゃん

この書き方が最高に格好よく、やっぱりプロは違うなぁとため息混じりに思ったのでした。なんかまとまらないけど、この辺で。

先輩のブログ:おかえりなさい旅の時間。結局、また行ってきます

「ルールが無い」というルールを作り共有する

この間知り合いになった人から「最近うちのシェアハウスに、意識の高い人が入って来たので困っている」という話を聞いて「それ分かるわ〜!」となった。

どういう事かというと、その人の住んでいるシェアハウスは多少雑然としているのだけど、それは、みんなが許容できる雑然さと、掃除や片付けの手間のバランスが取れた状態での雑然なのであって、ただ適当に散らかっているのとは違う「調和の取れた雑然」が維持されている状態になっていたのだそうな。

ところが新しく入って来た意識の高い人(以下、意識高さんと呼びます)は、家はもっと片付けるべき、綺麗にピカピカにすべき、という感じの人で、そのために掃除当番やルールを作りたがる人だったのです。

これはそれまで長い時間をかけて作られてきた「調和の取れた雑然」を乱す行為なのですが、意識高さんは既存住人の面々が堕落していると感じてしまい、その状態を受け入れがたいのです。事実、堕落はしているのですが、それは「生活の知恵」とでもいうべき堕落なのに、それが分からないんですよね。

ホテルのように綺麗な部屋は、ほぼみんな歓迎だと思うのだけど、シェアハウスの場合は基本的には自分たちで掃除や片付けをしないといけない。そのために毎日何十分も時間を使うのだとしたら、本末転倒だと思うのです。掃除業者を入れているシェアハウスもあるけれど、それは確実に居住コストに反映されるし。

そして「調和の取れた雑然」は明文化したりルール化されたりする事は、まずありません。なぜならば一緒に住んでいる事そのものが、ルールを作り共有するという行為だから。後から入ってきた人は、それが分かりにくいから、お互いにちょっとした配慮が必要なのだけど、そこが上手く行かなかったのかな〜と。

こういう場合は「きれいに片付けたいのは意識高さんの個人的主張なので、どうぞ好きなだけ片付けて下さい。ただし、他人にそれを押し付けないでね」というのが正しい解決策なのだと思う。もちろん、放っておけば、どんどん物が増え汚れ散らかっていくので、どこかでそれをリセットするために大掃除をしたり、ルールを改定したりする必要はあるのだけれど。

僕は4軒シェアハウスを運営していて、作っているルールは、

・性善説
・我慢しないで思った事は言う
・禁煙
・ゴミ出しの当番

ぐらいで、それ以外は基本的には住んでいる人の自主性(という名の曖昧な状態)に任せてあります。

面白いもので、ほぼ何も決めないでスタートしているにもかかわらず、家ごとに違ったルールが芽生え育ち共有されていきます。住む人によって心地よく感じるルールが違うので、押し付けない方が逆にいいんですよね。まぁこの辺は、複数の物件を運営してみて初めて分かった醍醐味でもあるし、新しく入ってきた人が戸惑わないようなルール作りをするのが、運営者としての役目なのかなと。

ただ、住む人も増えてきて短期滞在の人も多くなってきたので、そろそろ簡単なルールブックでも作ろうかなぁと。あと、うちのシェアハウスではお掃除歓迎ですので、そこのところお間違えなく。

写真は MeetTheWorld池袋 の冷蔵庫。泊まりに来た誰かがメッセージを書いたら、どんどんメッセージが増えて収集がつかなくなってそのまま放置してあります。