独立国家は新たな祭り文化を生み出せるか?

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今年も秩父の夏祭り( 川瀬祭 )に参加しました。祭りは本番当日も楽しいですが、準備の過程もまた、本番と同じかそれ以上に楽しいものです。

秩父 川瀬祭 2017

考えてみれば10トン以上ある屋台を曳いたり神輿を担いで町内を回ったりしても、神様は喜んでくれるかもしれませんが、自分たちの暮らしには何の経済的なメリットもありません。

そんな「実利の無いもの」に対して、大勢の人たちが何ヵ月も前から準備して当日も本気で盛り上げるというのが、祭りの最高に素敵な所です。

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秩父 川瀬祭 2017

翻って、自分が独立国家を作った場合、このような高度に文化的な営みを生み出す事ができるのでしょうか?

秩父の川瀬祭は350年以上も続いているそうです。つまり、政府が変わっても、戦争に負けても続いている訳です。

もちろん、ご近所のつながりが深まったり、建築技術や笛や太鼓の技術が伝承されたりするというメリットはあるでしょう。しかし、そんなフワッとしたメリットだけで、そんなに長く続くものでしょうか?

もはやこの祭りが「普遍的な何か」「生きるために不可欠な何か」を有しているとしか考えられません。

果たしてそんな偉大なものを、自分たちが新たに生み出す事ができるでしょうか? 少し不安になりました。

そろそろ「独立国家を作りたいなぁ」と夢想する時期から、「独立国家を作ったら何をするのか」を具体的に考える時期が来たのかもしれません。

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