第一期建国作業を総括する

この記事は約3分で読めます。

2017.4.16
2015年に開始した秩父王国の畑の後片付けをしてきた。

長ネギが自生
そこには、何もしていないにもかかわらず長ネギが自生していて、生命の力強さを感じた。また、後片付けをしている最中に、近所の人たちが「久し振りだね」「今年はどうするの?」など次々と声をかけてくれて、周囲の人とゆるく付き合いがあった事を実感した。

残念ではあるけれど、これにて第一期の建国作業は終了したと、宣言する。

2年間、いろいろな人を巻き込んで建国作業を進めてきたので、やはりここは総括せねばなるまい。と同時に、初心にかえる意味もある。

自分に独立国家を作りたい、という気持ちが芽生えたのは、確か2004年ごろ。取材で知り合ったベッコアメ・インターネット創業者の尾崎憲一さんらが開催している王国の会と呼ばれる集まりに参加したところに端を発する。

その名の通り、この会では無人島を買って王国を建設し国連に加盟しよう、ということを当初は真剣に議論していたという。会が始まった1996年はインターネットビジネスの勃興期で、超お金持ちが実際に無人島カタログを会合に持って来た事もあったらしい。

そこに至る大まかな流れは、建国への道というシリーズで途中までブログに書いてあるので、そちらを読んでもらいたい。

なぜ今回、第一期の終了を宣言するかといえば、直接の原因は自分の環境の変化、要するに結婚した事にある。諸般の事情から特に先の事は考えず、結婚する事自体を優先した。つまり今後の事は結婚してから、ゆっくり考える事にした。その為、これからの自分の人生設計が一旦白紙となったのだ。

具体的には、妻・繭子さんは鎌倉でシェアハウスをボランティアで運営していて、自分は都内で3つ、秩父で1つ運営していて、その他にTVディレクターやWebマスター(死語)をして生計を立てている。

住む場所は決まっておらず、その日の2人の都合に合わせてお互いのシェアハウスを転々としながら生活しているのだが、鎌倉から秩父まで移動するのは3時間ほどかかり、さすがにシンドイ。つまり秩父に通う機会が減る。この状態で畑を維持し、経済的に独立した自給自足中心の国家建設を目指すのは難しい。

もう1つ大きいのは、馬場さんが始めたギークハウス千葉大網白里(ギー網)が順調に発展している事だ。 ギー網では、着々と環境整備が進み、日々面白そうな事が起きている。いったい何故なのか? と考察してみると、様々な要素はあるものの、一番の違いは、ギー網には馬場さんが常駐している、というのが一番大きいように思う。

ちょっと考えれば分かる事なのだが、主不在の場所が盛り上がる訳がない。しかし、今の自分には秩父に常駐する事は難しいのである。

この事から得られる教訓は大きい。

1:主は、その場所に常駐していた方が良い
2:その為には、建国作業中も、そこで収入を得る手段が必要である
3:建国作業に時間をお金を投資できるだけの余裕がなければならない

当初の予定では、ゆっくりと耕作地や人脈を増やしていき、まずは自給自足を達成してから独立を目指す、という計画だった。しかし、割と初期の段階でそれが躓いてしまったのである。

橋頭堡としての居場所、秩父城は残してあるので、機会があれば秩父で建国作業を再開する事は可能である。何より秩父には豊かな自然と歴史があり、地域として面白い。知り合いも沢山できた。しかし、再開する前に、きちんと計画を練り直さなくてはいけない。

そして自分にとって最優先なのは、妻であり家族である繭子さんを幸せにする事であり、自分の人生を楽しいものにする事だ。国の最小単位である個人、その1つ上の単位である家族。まず足下がしっかりしなければ、大きな目標は成し遂げられないのではないかと思う。

長ネギが自生していた
今後の展開は、1〜2年かけてゆっくり出そうと思う。自分の人生はあと30年ぐらいは残っているはずなので、1〜2年の休止は、誤差の範囲だと思う。大きくジャンプをするためには、まず、かがまなければならない。

タイトルとURLをコピーしました