地方に住む人の気持ち

岡山の日の出
仲良しのズミシーの実家(岡山)から東京に向かう山陽本線の中で、これを書いています。もうすぐ陽が登ります。

僕は埼玉で生まれて、ずっと東京で仕事をしているので、初めて地方でお正月を迎えました。

新幹線や飛行機に乗って実家に帰省し、家族で紅白歌合戦や箱根駅伝を観ながら正月を過ごし、また東京に戻る。普段、東京で生活している何割かの人は、毎年そんな風に正月を迎えているのだろうし、季節の風物詩として、そんな風景を何度もテレビのニュースで紹介してきました。

わざわざ混んでいる時に田舎に帰らなくても……と、思っていましたが、疑似体験してみると、みんなが元気であるならば、一年の区切りとして、これはこれで中々良いものだなと思いました。自分がどこから生まれて来て、いまどこにいるのかを再確認できます。数日だけど、旅は人に何かを与えてくれます。

いつでも帰る事が出来るから、いつも帰らない。僕にとって埼玉の実家はそんな距離感の場所なので、地方の人がちょっとだけ羨ましく思えました。

ズミシーの親父さん
写真はズミシーの親父さん。一緒に沢庵を漬けました。

沢庵は意外と砂糖を使います

今年やって良かった5つの事

毎年思うのだけれど、今年も色々ありました。
自分の経験として振り返る事ができるように、忘れないうちに、まとめておくのが吉。

1番やって良かった事:ヒッチハウスをした事
#ヒッチハウス Projectの代表として、色んな家を泊まり歩きました。だいたい30泊ほど。大半は少し知ってる人だったり仲の良い人の家だったりしましたが、本当に初対面の人の家にも何軒か泊めていただきました。知ってる人でも家まで行った事のある人というのはあまり無く、興味深い経験でした。

そして良く飲みました。泊まりに行った先では、だいたい4〜5時間ぐらいは飲んでました。お酒を飲んで飲まれながら色んな話をする中で、人間は大体3時間ぐらい話してからようやく本音トークが出てくるという事も分かりました。

そもそもヒッチハウスを始めたキッカケは、東京に住んで普通に生活してても、旅行気分を味わう事は可能なのではないか、という事でした。そして、それは可能でした。その上で、自宅に居ながら沢山の人と触れ合えるシェアハウスって、やっぱりいいなと思いました。ヒッチハウスをやったお陰で、改めてシェアハウスの良さを再認識できた事が、今年最大の収穫だったと思います。素敵な名前をつけてくれたガッチさん、ありがとう。

2番目にやって良かった事:恋愛をした事
相手のある事なので、あまり書けないけど久しぶりに恋愛しました。いい経験でした。恋は平凡な毎日をワクワクした日々に変える魔法です。本当は1番にしようかとも思ったけど、恥ずかしいので2番目。

3番目にやって良かった事:建国の準備をした事
「グローバル経済に巻き込まれない独立・安定した経済圏を作る」。これが当面の自分の中での目標です。世の中不安定で先が見えないから、夢が持ちにくい。逆にいえば、何をしても死なずに生きていけると保証されれば、安心して好きな事にチャレンジできる世の中になるんじゃないか。セルフ・ベーシックインカム的な淡い期待を現実にするために、まずは土地探しを始めています。そこで自給自足をベースとした独立国家を作ろうと思っています。

4番目にやって良かった事:沢山の人に会った事
沢山の人に出会って、いっぱい話をしました。一緒にイベントしたり、ご飯を食べたり、酒を飲んだり。色んな人に会う事で、色んな自分を知りました。

5番目にやって良かった事:facebookをやっていた事
今年も、仕事にプライベートにずっとfacebookを使っていました。そのお陰で、自分の考えている事や日々のちょっとした出来事を多くの人に知ってもらう事ができました。そして色んな人の気持ちも知る事ができました。自分はちょっと変わり者、という自覚があるので、少しでも自分の事を知ってもらえるのはありがたいです。現在のお友達の数は815人。毎日1人の方と会っても全員と会うのに2年以上かかる計算です。機会があれば、みなさんまた会ってお話しましょう。

来年借りれそうな畑を前に
写真は、来年借りれそうな畑。色々な野菜を育てたい!

これからやりたいこと2014/09版

とりあえず、酔った勢いで書いてますが、酔ってるだけに、あまり細かい事は思い浮かばない。だから、ここに書いてある事は本当にやりたい事に絞れている気がします。

●独立国家の建設
  これが出来たらもう思い残す事はないと言えるほどの、自分にとっての重大事業。ちなみに人口10人以上3000人以下が目標。その前段としての村作りは、来年から開始予定。

●暖かい家庭を築く
  バツイチなんであんまり偉そうな事はいえませんが、一緒にいるだけで幸せと思えるパートナーを見つけて、子供を2人以上作って、温もりのある家庭を築きたい。自分の生きる意義。

●和音の出る楽器を覚えたい
  たぶん、ピアノ。弾き語りをしたい。ギターは何回やってもFが押さえられない。料理の次に、人を幸せにする手段として覚えたい。

●定期的にチャリティイベントを開催したい
  多くの人より自分は恵まれていると思うので、その幸せを誰かにおすそ分けしたい。自分の中にある、世の中を良くしたいという気持ちを、どうしても捨てきれない。そんなに沢山はできないけれど。

●マッサージ系の技術を覚えたい
  世界中どこへ行っても体1つで仕事ができるから。これさえ覚えれば、何があっても生きていける気がする。ちなみに「ビッグダディ」を観て思いついたのは内緒。

●作詞を身に付ける
  自分の最終目標は国家元首になる事ではなく、作詞家になる事だから。たった3分間に森羅万象を詰め込める究極芸術。そして僕は日本語が好き。

●ちゃんとプログラムを覚える
  プログラムは30年以上前からしてるけど、人の役に立つほどには出来ないので。できればWebサービスを作って多少なりともそれでお金を稼ぎたい。

●シェアハウスをあと数軒作る
  1つは、こぐすんと進めているモノづくり系シェアハウス「ShareLab」。もう1つ進行中があるけど、まだ内緒。目標は全部で5軒以下。

●全大陸制覇の旅を完遂する
  あと南極だけが残っていて、その状態が長く続いています。テレビの仕事を辞めたら一番先にやりたい事。

●英語を覚える
  自分の考えている事を出来るだけ沢山の人に伝えたいから。英語じゃなくてもいいんだけど、今更他の言葉を覚える自信がない。

※やるやる詐欺に対するクレームは一切受け付けません(笑)

僕がヒッキーしてた頃の話

そのうち書かなくちゃ、と思ってなかなか書けなかったんだけど、高校時代のある時、僕はヒッキーしてました。例によって、そんな真剣なヒッキーじゃなくて、なんちゃってヒッキーというレベルなんだけど。

それでも、その時の経験が今でも役立っているし誰かの役にも立つと思うので、今日はヒッキーしてた頃の話を書いてみます(長文)。だいたい4人ぐらいの知り合いに向かって書いてます。

   ※   ※   ※

中学を卒業した後、僕は埼玉で私立の進学校に入学しました。父親も姉も田舎によくある「地元で一番の公立校」に行っていて結構楽しそうで、僕もそこに行くもんだと思ってずっと育ってきたんだけれど、イザ受験となったら、どこでもいいから田舎を抜け出したくなって、たまたま合格したそこそこ偏差値の高い私立校にさっさと決めて、僕は公立の受験をせずに高校受験を終わらせたのでした。ま、これがそもそも失敗の始まりだったんだけど。

うまいことレベルの高い学校に潜り込んだのは良かったんだけど、入学して最初の中間テストで赤点を3つぐらい取って、「こりゃあかんわ〜」という感じで、僕は受験競争から速攻でドロップアウトしてしまいました。高校3年間振り返ってみて、赤点を取らなかった時なんて、1回か2回あったかどうか、ってぐらいそれはもう、赤点を取りまくっていました。

こうなると、進学校ってほとんどやることがなく高校時代は灰色の3年間といっても過言ではありませんでした。何しろ学校生活全体が受験の為に設計されているので「学園ライフを満喫」みたいな感じからほど遠く。しかも、入学した後で気付いたのですが、田舎はみんな公立高校が第一希望で私立に来るのは受験に失敗した奴ばかり。「何でオレはこの学校に来ちゃったんだろう……」なんて、周りはみんなクヨクヨしていました。僕はそんな奴らを内心軽蔑していましたが、そんな奴らよりも僕はテストの出来が悪かったのです。

さらに不幸な事に、学校は田んぼのド真ん中に立っていて、しかも男子校で、先生も全員男。遊ぶ場所も無く、女の子も居ない。そんな環境で、朝から夕方まで、受験以外には使わないであろう授業を受けさせられて、テストされ、赤点を取り、追試を受けるのです。もはや苦痛以外の何物でもありません。

それでも頑張って学園祭の実行委員をやったり、生徒会で副会長をやったり、村上龍の「sixty nine」を読んで革命に興味を持ったり現代詩手帖を読み始めたりして、何とか自分を誤魔化して高校だけはとりあえず卒業しておこうと思ってたのですが、ある時、限界が来ます。

  もう、なんか全部どうでもいいや

高3になって、大学受験とか高校生活じゃなくて、人生そのものが嫌になって僕は学校に行かなくなったのです。当時そんな言葉は無かったのですが、今で言う「心が折れた」ような状態です。

ちょうど実家を出て池袋で姉と妹と3人でマンション暮らしを始めていたので、親にも怒られません。最初のうちは6時間目が終わった後のホームルームだけ出て出席日数を稼いでいたりもしたのですが、そのうち本当に学校に行かなくなりました。

授業は受けても受けなくても結果は同じだったので、それはどっちでも良かったのですが、学校に行かないと、今度はやる事がありません。引っ越したばかりの池袋という土地には友達がいなかったので、毎日どこにも行かず、家でブラブラするようになります。ヒッキー生活の始まりです。家に引きこもって何をしていたのかといえば、本を読んだり音楽を聴いたりという事の他に、僕は「パソコン通信」にハマっていました。

パソコン通信というのはインターネットの前身みたいなもので、要するに管理人がいる掲示板みたいなものです。僕は他人が作ったサイトにアクセスするだけでなく、自分でも面白いサイトを2つほど立ち上げ、書籍にに掲載してもらったりしていました(今にして思えばこれが自分のPR活動の原点ですね)。

当時の高校生にとって、自由に大人と意見交換したり知らない人と交流できたりする場所はとても貴重で、僕は小説家やプログラマーや漫画家と知り合って、大いに刺激を受けていました。それだけではなく、僕はそこで知り合った28歳の女性社長さんから、パソコンのフォントを作るアルバイトまでもらっていました。

パソコンのフォントを作るという仕事(平成明朝とか作ってました)は、好きな時にできるし、学歴も関係ないし、自分は人より早く綺麗な線が引けたので、楽しかったのです。それは学歴社会をドロップアウトして家に引きこもっている中で、唯一といっていい生産的な時間でした。

その女社長さんの自宅兼事務所に出入りして、仕事だけではなく手料理なんかも奢ってもらいながら僕は段々と、「このままアルバイトしながら生きていくのもありなのかも」と段々と思うようになっていきます。

当時はバブル景気の入口で、会社に縛れれない「フリーター」という新しい生き方が注目されていた時期でもあります。分かりやすくいうと、ちょっと前の「ノマドブーム」みたいなもんです。

この頃の生活といえば、時々するバイトの時以外はやること無いからふて寝して、昼夜が逆転して過眠症になって、余計に元気が出ないからまたベッドに潜って引き籠もる、みたいな循環になっていて、さらに、これまたやる事がないから1日3回も風呂に入っているうちに潔癖症になりかかったり、という感じで、よく考えると、そんな人間がフリーターも何もあったもんじゃないですが。

とにかく僕は高校を卒業する事を諦め、フリーターになるべく本格的にアルバイトを始めます。その時のアルバイト先が、日本ソフトバンクの秋葉原担当の営業部でした。当時はまだADSLも携帯電話も扱っておらず、本とパソコンソフトを売る会社でした。平日の昼間、本当に学校に行かなくていいの? と訊かれましたが、「学校は辞めるつもりなので大丈夫です」と力強く言ったのを今でも覚えています。

僕はここで「仕事には自分の前と後のプロセスがあって、眼に見えないけどそこまで考えるのが大事」というすごく重要な事を学んだのですが、3日ぐらい辞めてしまいました。

なぜ辞めたかというと、当時の高校の担任から「内田、まだ出席日数足りるぞ。今から戻ればギリギリ卒業できるぞ」と言われたからです。

電話だったか、直接会って言われたのかは忘れてしまいましたが、結果的に僕はこの一言で僕はコロッと高校に戻ってしまいました。

当時、高校を中退するというのはかなり思い決断だったため、卒業する事は明らかにメリットがあったのです。それに、どのみちあと数ヶ月で卒業という終わりの見えた時期だったのも、戻る元気を与えてくれました。そして日本ソフトバンクの土岐さん、突然辞めてごめんなさい。あの言葉、今でも役に立っています。いつかお会いして謝りたいです。

   ※   ※   ※

でもまぁ戻ったら戻ったで、10教科中5教科で赤点を取って、古文の先生から、「お前、あと何科目赤点残ってるんだ?」と言われて、

 「あと4つです」

と答えたら、「そうか。まぁ頑張れよ」とだけ言って合格にしてもらったりとか、僕の成績は確か学年で下から2番か3番だったのですが、一緒に追試を受けているうちに、自分より勉強が出来ない奴に出会ってホッとしたりとか色々あるのですが、まぁそれはおまけみたいなもので。

そんなこんなで、まぁ何とか高校だけは卒業して、僕はこの後、本当にフリーター生活に入っていきます。当時、姉と妹と一緒に暮らしてたので何らかの会話をしていたはずですが、どんな話をしていたのか全然記憶にありません。これが男子校じゃなくて共学だったらまた違った展開になっていたと思うのですが、それは人生のアヤというもので。

   ※   ※   ※

今振り返って、数ヶ月のなんちゃってヒッキー生活をしてみて良かっなぁと思うのは、ヒッキーしている人の気持が少し分かるようになった事と、それと、世の中の大半の出来事は実はどうでもいい、という事が分かった事です。

ヒッキーしている人は孤独です。僕もヒッキーし始めた頃はなんかもう、自分が普通の人とは違う別世界に来てしまったような気がして、物凄い罪悪感がありました。自分は役に立たない人間なんじゃないかとか、存在する価値がないんじゃないかとか、ずっと思っていました。当時は電車に乗る時、黄色い線の向こう側、ホームの一番線路側ギリギリに立って、何かのキッカケにホームに落ちたり電車とぶつかったりして死ねたらいいのにと、いつも考えていました。

ヒッキーになるキッカケは人それぞれだと思うのですが、何かに打ちのめされてヒッキー生活を始める人が多いと思います。例えば僕だったら、学歴社会に生きる意味を見出せなかったりとか。本当はそこでルールを変えて、違う事を始められればいいんだけど、視野が狭かったり環境がそれを許さなかったりして逃げ場が無いと、ヒッキーになってしまうのだと思います。ああ、もったいない。

世の中の大半は実はどうでもいい、というのも同じで、それまで自分が「xxじゃなきゃいけない」と思っていたものも、本当は全部投げ出して捨てちゃえると、ヒッキーした時に分かりました。実際、僕は受験勉強をすべて投げ出しました。センター試験も、一応、受験料だけは振り込んだのですが、家で目が覚めたら試験はすべて終わってました。年に一度の試験を寝過ごす(しかも起きたのは夕方)というのは、普通は大失敗ですが、僕にとっては痛手でも何でもありませんでした。

要するに、世間一般の常識というのは、真実ではなかったのです。むしろ「世間体」みたいなものさえ気にしなければ、常識と呼ばれるものにとらわれないで生きている方が圧倒的に自由で楽しいと思います。

そして嫌な事を全力で投げ出し世の中の常識とかどうでもいいや、と捨て去った結果、僕はゼロベースで物事を考えられるようになりました。色んなしがらみを断ち切って、何もない状態から自由に物事を想像できるようになりました。そして僕の世界は広がりました。楽しく、楽になりました。

   ※   ※   ※

単にテストで赤点を沢山取った、という所から始まったクダラナイ引きこもり生活ですが、人生に無駄はないというか、人生は恐ろしいというか、ヒッキーしていた経験が、今の建国準備に意外と役立っています。だからって、ヒッキー万歳とかいうつもりはないんですが。

つまるところ、ヒッキーを抜け出すには、ヒッキーしているよりメリットがある状態を見いだせれば、抜け出せるのではないかと。ヒッキーのみなさん、頑張って下さい。

好きな事をする事こそが競合優位性を生む。だからもっと正直になろう!

久しぶり以前書いた自分のブログ「Automatticの高野直子さんに学んだ、新しい働き方の話」を読み返してみて、自分が好きな事をやっている人はなんて力強いんだろうと。

儲けとか関係なしに自分の好きな事をするというのは、物凄いニッチを探り当てているのと一緒だから、もし一旦そこで上手くいけば、なかなか他の人には負けない。

だけど、うまくいく確率は決して高くはないし、そこに至るまでの収入は極端に低い。

だから、心置きなくチャレンジする事ができるように、無収入に近い状態でも生きていける世界を作る事に意義がある。ある種のポジティブ・セーフティーネット。

ブログを書いた時は、年収200万円とかを想定していたけど、今考えているのは月3万円とか5万円で生きていける生活。

ボッチ、ニート、ヒッキー、そして社会起業家のための「 #豊かな月3万円生活 」スタートアップ会議
月3万円だったら、ヒッキーしてても稼げるだろうと思って「ボッチ、ニート、ヒッキー、そして社会起業家のための #豊かな月3万円生活 スタートアップ会議」というイベントをやってみたら、結構人が集まり盛り上がった。みんな興味あるんだと、自分の中で自信につながった。

家や土地はどこから調達するのか? 税金や年金はどうするのか? 課題は多い。

月3万円生活というのは、ある種のイノベーションだから既存の社会と軋轢を生む。だから、本当は村じゃなくて、国が必要だ。独自の生活には独自の世界観があり、独自の法律や税収が必要になるから。

でも、一番大事な事は生き方のテクニックじゃない。何が自分にとって一番大事なのか、それを見つける事なんだと思う。

自分の大切なものを持っている人は強いし、それは競合優位性を生む。そして過剰な装飾を捨て、シンプルに生きられる。

それを見つけるために必要なのは自分に正直に生きる事。ただそれだけなんじゃないかと思う。

※参考記事
WordPressの創始者マット・マレンウェッグが来日、WordPressとウェブの未来について語りました