秩父に移住者を増やすメリットは?

昨夜は秩父にどうやって人を増やすか、という検討資料を作っていました。なかなか苦戦して、結局明るくなるまでかかっちゃったのだけど。

一番悩んだのは「なぜ秩父に人を呼ぶのか?」というあたり。

自分にとってその理由は明白で、「面白い奴が集まったら、もっと面白くなるじゃん!」って事に尽きるのだけど、では元々秩父に住んでいる人のメリットは何なのか?

もちろん、地域が活気づくとか、価値観の多様性が生まれるとか色々あると思うんだけど、最大のメリットは「移住者が住みやすい、もしくは移住したくなるような地域は、地元の人も住んでいて楽しい地域になるはず」という事なんじゃないかと。

移住を促進する過程でで、昔からある伝統を改めて見直したり、地域の風通しが良くなったり、自然をより大事にしたりという動きが起きると思うのです。

また、田舎の人は自分の地元の事を「何にもないつまんない所だよ」とよく言うのだけど(僕も自分の出身地の事はそう思う)、外部の人間からしたら宝の山みたいなもので良い所がいっぱいある。

そういった地域資産を評価する人が外部からやってくる事で、改めて自分の住んでいる所の良さを再発見して、自信や郷土愛につながっていったりもすると思うんですよね。

「ふるさと」とは何か?

独立国家を作る、という概念はさておき、ごく普通に秩父に移住すると考える際に、「ふるさと」とは何か、という事を否が応でも考えさせられます。

僕は埼玉県加須市という田んぼ以外何もないような田舎の出身なのだけど、高校入学時から地元を出ているし、つきあいのある友人は一人もいないので、ふるさとって感じは全くしない。一応、両親は住んでいるけど、年に1〜2回しか帰らないし、帰っても実家に直行するだけなので、ふるさとというよりは、たまたま両親の家がある場所という感じ。

僕が一番長く住んでいるのは東京。17歳で東京に出ていて以来、ずっと東京に住んでいます。もう25年(四半世紀)も住んでいる計算です。内訳は池袋に約10年、麻布十番に約10年、その他、という感じです。

この中で、一番「地元」だなと思えるのが麻布十番。子育てをして娘と同じ保育園のパパ・ママと知り合いになったのが大きい。街や公園でパパ・ママ友と会うと自分の住んでいる街だなぁ、という実感がわいてきます。娘にとっては麻布十番が「ふるさと」という事になるでしょう。

その次が20歳ぐらいの頃に、濃い人生体験をした江古田。シェアハウスと出会ったのも江古田でした。ここは青春というか甘酸っぱい記憶の中にある街という感じ。

じゃあ秩父はどうなるんだというと、生まれ育った場所としての「ふるさと」にはなりようがなく、幼少期からの友達も居ない。まだ子育てするつもりはあるので「地元」だなと思えるようにはなるのかもしれないけど、それが「ふるさと」と呼べる場所になるのかどうか。どこまでいっても借り物の土地に住んでいるような気がするのではないかと思っています。

結局のところ、自分が「ふるさと」だなぁと思えるような場所は、もうどこにもないのかもしれない。

それはそれでしょうがないのだろうけど、どことなく寂しい。こんな歌を聴くと余計そう思います。

ただ、独立国家を作るという事は、ゼロから「ふるさと」と呼べるような場所を作る行為な訳だから、また違った考えになるとは思います。

参考
猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」が普遍的にイイ!
『フルサトをつくる』目次と「はじめに」を公開します

ギルドハウストーキョーで初料理

今年の9月からギルドハウストーキョーというシェアハウスのセカンドメンバーになっています。セカンドメンバーはリビングとキッチンなど水回りを使える仕組みで、部屋はありません。

借りた理由は主に、徹夜仕事の後の仮眠と、普段は元嫁のところで生活している小学生の娘と宿題したりご飯を食べたりするためです。今の日本には自分で料理してご飯を食べられる場所、というのはほとんどないのです。

借りたのはまぁいいのですが、なんだかんだ忙しくてずっとその機会がなかったのですが、ようやく料理をする時間が取れました。で、作ったのが鶏団子鍋。
鶏団子鍋1

スープも鶏団子も市販品で野菜を切って煮ただけ(笑)。自分が余計な調理をしなかったせいか、美味しかったです(笑)

セカンドメンバーは月1万円なんだけど、月2〜3回しか利用しない自分にとっては安くもあり高くもある値段。でもまぁ、娘が父親と一緒に行動してくれるのもあとわずか、と思い、多少は無理しても時間を作らないと、と思いながら借りています。

一緒に宿題したりプログラムを教えたりできたらいいなぁ、という父親の淡い期待とは裏腹に、娘の方は本棚にあったセーラームーンを読むのに夢中です。
2015-10-29 20.07.54

親が自分の事をどう考えているのかなんて思いもしない、無邪気な子供の姿がそこにあります。自分も昔はこんな感じの子供だったのでしょう。

一緒に住んでいない事もあり、自分の中で子育てはほぼ終わったと思っているのですが、こんな子供があと15年かそこらで結婚して子供を産んだりするのかと思うと不思議な気持ちになります。

親に教えられる事は何もない、ただ子供が学ぶ手伝いをするだけだとも。

幸せを手に入れやすい国、日本

今日も地方移住の事について2時間ばかし話をしていたのだけれど、今の世の中、そこそこの幸せというのは都会より田舎の方が圧倒的に得やすいと思います。

蕎麦の刈り取りが終わった直後の秩父の畑

とりあえずの衣食住が満たされていれていて自由な時間があれば、人間それなりに幸せだと思うのですが、それを満たすハードルが田舎は圧倒的に低いからです。以下略。

都会において「仕事を失う=生活に困る」ので常に失職しないようにと気が休まる暇がありませんが、田舎だと「家も土地も大量に余っているから、畑でも耕せば体が動くうちは何とかなるだろう」という大らかな気持ちで人生の大半を過ごす事ができます。この「何とかなるだろう」から来る安心感が半端ないです。

そう思うと、自然豊かな日本という国に生まれてきた事に感謝せずにはいられません。

冬の陽だまり

近所の親水公園
命あるもの全てが、等しく地球と太陽に育まれているなぁ、と思える冬の陽だまり。

自分もどこかで誰かとつながっていて、誰も見ていなくても、自分の行いが他の人に影響を与えている。

誰の為にそれをやるのか分からない事が良くある。自分に見返りもないのに。

でも、知らないうちに全てがつながっているのだとしたら、星に願いをかけるような気持ちで、そおっとやっておくのがいいと思う。