今日はちょっと知り合いの作家さんが「原稿は面白いけど、フォロワー数が少ないから本が出版できなかった」という話をTwitterでしていた。
まぁ、本当は当事者同士もっと葛藤があった話なのだろうとは思うけど。
その一方、数日前、ネットニュースの編集者をしていた中川淳一郎さんが「地方に移住したけどTwitterのフォロワーが多かったから仕事が増えた」みたいな記事を書いていて、改めて今の時代に何が求められているのかを考えさせられる。
「今の時代に求められるもの」。それはSNSのフォロワー数やアクセス数だったり、口コミサイトでの星の数だったり、検索エンジンで自分のブログが上から何番目に表示されるか、だったりするのかもしれない。
普段、分単位で計測されるテレビの視聴率と格闘している身からすれば「数字は大まかに言えば正しい」。
会社の売上だって、清き一票だって、スポーツの記録だって、所詮はただの数字だ。数字は、世の中に起きている「何か」を反映している。だからSNSのフォロワー数を気にする編集者の行動は一定の理にかなっていると思う。
でもね、数字にだって物語があるんだよ。
例えば、サッカーで1点取るために、そこにどんな努力と魂のぶつかりあいと運命のイタズラがあったのかを、Numberみたいなスポーツ雑誌の人たちは何ページにもわたって書く。ただ数字が1増えただけの現象を、90分もある試合のうちのたかだか数十秒の瞬間を、自らの解釈を込め心血を注ぎ文字を、物語を紡いでいく。
同様に、SNSのフォロワー数だって、勝手に増えたり減ったりする訳じゃない。どうやって増やしていったのか、あるいはなぜ増やさなかったのか、増やせなかったのか、それぞれのケースをちゃんと読み解いていく必要があると思う。炎上させてフォロワーを増やす人もいるのだから。
もし数字の背景にある物語を解釈するという行為を放棄してしまうのであれば、そりゃもうAIにまかせて経営判断しちゃった方が良いのではないか?
ちょっと気の効いたAIだったら単なるフォロワー数だけでなく、過去のタイムラインを遡って1ツイートごと読み解いて総合的な評価をしてくれそう気がするし。
まぁ「数字の背景にある物語を読み解く」という行為についての評価も、この先どんどん変わっていくのだろうけど。という訳で、今日はここまで。
「〜っぽい」が求められる時代については、そのうち考察してみたい。
追記:fbに書いたら結構な反響がありました。そして、これからはネット芸人的な行動をしてでもフォロワー数を増やした方が得だ、という結論に至りました。詳しくは下記をクリックしてみて下さい。