その1,その2,その3、と来て、今回がその4です。8/12(月)の分です。
この日は、レンタカーゆみこに乗って出発です。向かう先は、佐賀県多久市です。そこには、娘の母方の祖母(つまり嫁さんの母親)が育った家があるのです。
こちらがその家。戦前に建てられた日本家屋で、今はデイケア施設になっています。
庭側。木々と井戸跡があります。左側に見える白い壁の辺りが厠です。
内部は多少手が入っています。障子の向こう側がリビングのような場所になっていました。柱とかぶっとくて、立派な家です。使用人さんの部屋なんかもありました。
でっかい長持です。何個かありました。奥や手前にあるのが、御膳です。昔のものが、そのまま残っていて、ドラマの撮影に使えそうな勢いでした。
写真に写っている白壁は隣の家のものなのですが、昔は祖母の家まで続いていたそうです。
町の人にとっても「あの家」と分かる思い入れのある家だそうで、そのせいもあって、割とそのまま残されている印象です。このまま使っていれば、あと10年か20年は持ちそうです。流石に保存する価値があるとは思えないので、娘が成人したら壊される前にもう一度見ておいて欲しいです。
娘は平成生まれなので、明治とか大正だけでなく、昭和でさえも歴史上の出来事です。自分の親が生まれるちょっと前まで日本が貧乏な国だったなんて、勉強しなければ考えもしないんでしょうね。まして昔の人が、エアコンや冷蔵庫、携帯電話もない生活をしていたなんて、想像できるんでしょうか? でも昔の人はそれを不便と思っていなかったはずです。そういう所に思いを馳せて欲しいけど、まだそういう年齢じゃないですね。
そしてルーツを巡る度はさらに時代を遡ります。
娘の祖母の育った家の近くにある専称寺は、創建は平安時代、この地に移ったのが鎌倉時代という古寺です。個人の人生をこえ、果てしない年月を経て、今もこの地に在り続けています。移ろいの激しい世の中にあって、変わらないものがここにありました。
偶然お盆だったので、都合よく墓参り。お墓を洗ってお線香炊きました。皇族の方につながるという親族のお墓も見て、なんとなく神妙な心持ちになったり、お寺のおばあさんに一家の由来や親戚の近況を聞いたりする事ができました。
この時思ったのが、お寺っていうのは、お墓とそれにまつわる記憶をシェアする仕組みなんだなという事。まずは、お墓を日常から切り離すために、家とは別の所に集めて置く。すると、管理人を雇えるので、住職という形で置いておく。そうなると、墓参りを通じて住職に情報が集まってくる。これ便利、みたいな。
多久が予想外に順調に巡れてしまったので、予定になかったけど糸島に行く事にしました。が、準備していないので、どこに行けば良いのか分からない。噂だとオシャレなお店がいっぱいあるらしいんだけど、全く見当たりません。
まぁ成り行きまかせの旅とは、そんなものです。漁港の町を路地裏散歩。「橋のある家に住みたい!」などと案外娘が喜びます。
シャレオツな店は諦めて、通りすがりにあった二丈パーキングエリアに車を停め海で遊びます。
娘は海が好きです。一日中、波と遊んでいます。景色も良いし、娘と遊べてなんか幸せです。
その後、「呼子のイカがうまい!」との嫁の声で、佐賀県呼子町に移動。
イカの活造りを食べました。甘くてうまい。普段食ってるイカとは別の食べ物ですね。醤油とかつけなくても、そのままでほんのり塩味です。これは現地で食べるしかないので、来て良かったです。