「りべるたんは終わった」あるいは「りべるたんは建物としては存在するけど、中身はもう無い」という話を、昨年後半から聞くようになった。運営の危機はいつもの事だけど、今回は本当にもう駄目かもしれない、という状況のようだ。外野からは何が起きてるのかはよく分からなかったのだけど、現在MAZARIBAの住人でもある和田くん(@cramponasahi)がここ数年の状況をまとめてくれたので、少し感想を書こうと思う。
知らない人のために説明すると、りべるたんというのは正式名称を「共同運営実験スペース りべるたん」といい、僕にとっては「学生運動をやっていた人が多く、たまに警察がガサ入れに来る、ちょっとトガって随分ヤバいシェアハウス」という認識だった。シェアハウス界隈の知り合いは多いけど、りべるたんは中野小屋(妖怪ハウス)、ときさば系ギークハウスに続く、知り合いが多いシェアハウスなのである。
僕も以前こんなブログを書いていた。ナベコちゃんから声がかかって、偉そうに出演者としてしゃべって来た時の記録。
りべるたん初期の様子はすがやん(@sugaya_keisuke)が過去にまとめてくれているので、それを読むと良い。
そして和田くんが今回書いたのはこちら。かなりの長文。
・りべるたん 2017年度の記録
・2章「りべるたん」の中で「問責」と「処分」を私が受けたことについて。
・3章まとめ。「一人一票制」の弊害。私はなぜりべるたん内で「自主性」をもてなかったのか。
・りべるたん顛末期。短めな最終話(これ以上はもうやりません)。
さて、前置きが長くなったけど、ここからようやく「和田くんの長文」への感想。
なぜりべるたんがうまくいかなくなったのか、という事については、(悪戦苦闘した関係者の方々には申し訳ない言い方なのだけど)よくある展開という印象でしかない。結果を出せない組織というのは続かないものだ。りべるたん関係者は、プロセスや手続きに体力を奪われて、結果を出すという事が疎かになっていったのだと思う。人間は入れ替わっても、組織を維持運営する仕組みの新陳代謝が足りず、仕組みがどんどん肥大化していったように見えた。あるいは戦線が少し広がり過ぎたように見えた。
僕個人としては、りべるたんの歴史的経緯よりも、普段あまり口数が多くない和田くんが思いの丈をぶつけた文章を発表した、という事をまず評価したい。そして実際の運営は、文章を書くより何十倍も大変だったはずだ。
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僕は時折「涙枯れ果てた先にあるものが大事」という言葉を使う。これは昔経営していた会社がうまく行かなくてズタボロになった経験などから来ているのだけれど、ここに書かれている和田くんの状態が、まさに「涙枯れ果てている」そのものだと思う。
高校を中退し発達障害を抱え引きこもりを経験し大学に入り就活で苦労した時に出会ったりべるたん。初期メンバーの強烈な個性だけで運営され、仕組みとしてはまだまだ未完成な組織をなんとはなく引き継ぎ始まる苦悩。次から次にやってくる魑魅魍魎たち。想像するに余りある苦労の連続。その結果、何が起きたのか?
私は断言します。私自身、これまでりべるたんも賃労働である福祉労働も自分なりに一生懸命やったのです。
苦しみ、うまくいかないことばかりだったとしても、それでもやってきた「今の私」にはある種の「色」が付きました。
七転八倒の結果、和田くんは自分の「個」を確立したのだと思う。ああ、なんて良い話なんだと僕は思う。いや、当事者は大変だけど、世の中には当事者にすらなれない人が沢山いる。すべての人は何らかの当事者であるはずなのに。
私は今後も生きていきます。今の自分はせっかく獲得しつつある「主体性」をちゃんと維持したい。そしてなにより「私は私を生きたい」。
和田くんは意識してないと思うけど、人生はあと5〜60年は続く。和田くんの残りの人生が有意義になって本当に良かったと思う。
和田くんが今回この長文を書き始めたキッカケは、ネガティブなものだったと思うけれど、結論としては素晴らしく昇華されていた。
僕は和田くんに関しては、本人が寡黙のため理解度が足りず傍観者だったけど、これからはもっと積極的に応援していきたいと思う。