「ふるさと」とは何か?

独立国家を作る、という概念はさておき、ごく普通に秩父に移住すると考える際に、「ふるさと」とは何か、という事を否が応でも考えさせられます。

僕は埼玉県加須市という田んぼ以外何もないような田舎の出身なのだけど、高校入学時から地元を出ているし、つきあいのある友人は一人もいないので、ふるさとって感じは全くしない。一応、両親は住んでいるけど、年に1〜2回しか帰らないし、帰っても実家に直行するだけなので、ふるさとというよりは、たまたま両親の家がある場所という感じ。

僕が一番長く住んでいるのは東京。17歳で東京に出ていて以来、ずっと東京に住んでいます。もう25年(四半世紀)も住んでいる計算です。内訳は池袋に約10年、麻布十番に約10年、その他、という感じです。

この中で、一番「地元」だなと思えるのが麻布十番。子育てをして娘と同じ保育園のパパ・ママと知り合いになったのが大きい。街や公園でパパ・ママ友と会うと自分の住んでいる街だなぁ、という実感がわいてきます。娘にとっては麻布十番が「ふるさと」という事になるでしょう。

その次が20歳ぐらいの頃に、濃い人生体験をした江古田。シェアハウスと出会ったのも江古田でした。ここは青春というか甘酸っぱい記憶の中にある街という感じ。

じゃあ秩父はどうなるんだというと、生まれ育った場所としての「ふるさと」にはなりようがなく、幼少期からの友達も居ない。まだ子育てするつもりはあるので「地元」だなと思えるようにはなるのかもしれないけど、それが「ふるさと」と呼べる場所になるのかどうか。どこまでいっても借り物の土地に住んでいるような気がするのではないかと思っています。

結局のところ、自分が「ふるさと」だなぁと思えるような場所は、もうどこにもないのかもしれない。

それはそれでしょうがないのだろうけど、どことなく寂しい。こんな歌を聴くと余計そう思います。

ただ、独立国家を作るという事は、ゼロから「ふるさと」と呼べるような場所を作る行為な訳だから、また違った考えになるとは思います。

参考
猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」が普遍的にイイ!
『フルサトをつくる』目次と「はじめに」を公開します