全文:陰キャだと思っていた同級生が有名ボカロPだった件(仮)

この記事は約37分で読めます。

AIを使って書いた2作目の小説です。

今日は自分でプロットを書いて、ChatGPT o1に下書きさせ、自分でクリーンアップさせる、という手法でラノベを執筆しました。

内容は個人的に満足できるレベルになっていると思います。タイトルは、これで良いのか悩み中。

ざっと2万字で、原稿用紙80枚分。Aivis Speechによる朗読時間は1時間5分。朗読させた音声↓のYouTube動画で聞けます。

 

タイトル:陰キャだと思っていた同級生が有名ボカロPだった件(仮)

主な登場人物

・川田春馬
  主人公。ゲーム好きの高校2年生
・谷本康介
  春馬の幼馴染で同級生。軽音楽部でドラム担当
・山風禰音(ねおん)
  赤髪の少女。新宿の路上でライブしている時、偶然春馬と出会う
・カノン
  有名ボカロP
・ヒビキ
  カノンが特別にチューニングしたAIボーカリスト(ソフトウェア)

 

第1章: 夏の終わりの出会い

夕方の新宿は独特の熱気に包まれていた。今日は真夏のうだるような暑さではなかったが、それでも、ただ歩いているだけで自動的に汗が出てくる。川田春馬は幼馴染の谷本康介と共に、ゲームセンターに向かっていた。

「夏休みも、もう終わりだな」

春馬はジーンズのポケットに手を突っ込みながら、空を見上げ、ふっとため息をつく。

「なにため息ついてんだよ、春馬」

康介が笑いながら肩を叩いた。彼の手には、さっき買ったばかりのコンビニのアイスクリームが握られている。

「いや、別に深い意味はない。ただ、ほら、宿題とかぜんぜん終わってないしさ。あと数日で新学期だなんてなぁ。俺の夏休みは、一体どこに溶けてしまったんだ……」

康介は呆れたように首を振る。

「お前、いつもそんな感じだよな。毎日エアコンの効いた家で、ゲーム実況。今日は気分転換にゲーセン。そりゃ、あっという間に夏休みも終わるって! でもまぁ、俺もゲームがバンドになるだけで、似たようなもんだけどさ」

二人は歩きながら談笑を続け、やがてゲームセンターにたどり着いた。店内に入ると、電子音が耳をつんざくように響き、派手な照明が目に飛び込んできた。音楽ゲームのコーナーは特に賑わっており、多くの若者たちが真剣な表情でリズムを刻んでいる。

「おっ、新曲入ってるじゃん!」

康介が指さした先には、「君の冒険」というタイトルの新曲が「NEW」というアイコンと共に表示されていた。その曲名を見た瞬間、春馬の心が少しだけ跳ねた。この曲の作者は、ボカロPのカノン。彼女の作る曲は、ピアノで弾けるようないわゆる平均律以外の音程を多用しているのが特徴で、宇宙のような不思議な曲調が特色だ。

歌っているのは、カノンがファインチューニングしたAIボーカリスト、ヒビキ。ヒビキはあえて少し無機質な声にチューニングされていて、人間っぽく媚を売らない感じが、春馬は好きだった。

「よし、俺がやってみる!」

春馬はゲーム機の前に立ち、コインを投入した。画面に映し出されるカノンの楽曲に合わせて、リズムよくボタンを叩く。曲が進むにつれて難易度が上がり、春馬の額には汗がにじんだ。

「お前、下手じゃん」

康介がからかうように言ったが、春馬は真剣そのものだ。

「黙って見てろって!」

プレイを終えた春馬は満足げに息を吐き、画面に表示されたスコアを見て「まあまあかな」と笑った。

「でもさ、カノンってすごいよな。高校生なのにこんな曲作れるなんて」

春馬がそう言うと、康介は頷きながら答える。

「東京の女子高生って噂? 本当かどうか知らないけど、同じ年頃であんな才能持ってるやつがいたら、嫉妬どころか呪ってやりたいわ」

康介は軽音楽部所属。ドラム担当でリズムが正確なせいか、音楽ゲームの腕は、春馬よりもかなり上だ。

春馬は康介の言葉を聞き流しながら、頭の中でカノンの楽曲のメロディを反芻していた。その音楽には何か不思議な力があり、聴く者の心を掴んで離さない。

「よっしゃ! パーフェクト! 俺の勝ちだな!」

康介は嬉しそうに叫んだ。


ゲームセンターを出た後、二人は夜風に吹かれながら駅へと向かって歩いていた。新宿のネオンが煌めく中、遠くから女性ボーカルの歌声が二人の耳に届く。その音に春馬がふと足を止める。

「なあ、康介。あの曲、なんか聴いたことない?」

少し先に目をやると、路上でギターを持った少女が歌っている。近くまで来たら、ハッキリと分かった。その曲は、さっきゲームセンターでプレイしたばかりの「君の冒険」だった。

「おいおい、あれカノンの曲じゃん。路上ライブで歌うとか、度胸あるな」

康介が感心したように言うが、春馬はじっと少女を見つめていた。彼女の姿、そして声には何か惹きつけられるものがあった。赤く染めた髪、鋭い目つき、そしてどこか遠くを見ているような表情。

ギターのリズムは正確で、カノンが作った不思議な音階にボーカルをぴったり乗せていた。

「おい、行くぞ」

康介が促すが、春馬はその場から動かない。眼の前の少女の歌声が、春馬のハートを貫き続けていた。多くの人が足早に通り過ぎていく中で、まるで、そこだけ時が止まっているかのようだ。

曲が終了して、春馬は意を決したように少女に近づき、声をかけた。

「君、この曲が好きなの?」

知らない人に話しかけるなんて、初めてだ。春馬は自分でも驚いた。

少女は次の曲を演奏しようとエフェクターのセッティングをしていた手を止め、春馬を見上げた。春馬の方が身長が10cm高かった。

「好きもなにも、これは私が作った曲だから」

その一言に春馬の心が凍りついた。驚きと戸惑いが同時に押し寄せる。

「えっ、でもこの曲はカノンの曲だろ? 俺はカノンの曲ならだいたい歌えるくらい好きなんだけど」

少女は冷静な表情を崩さずに答えた。

「信じないなら、それでもいい。ただし、このことは誰にも言わないで」

その言葉に込められた重みを感じた春馬は、無意識のうちに頷いた。彼女の瞳には孤独と決意が入り混じっていた。

「分かった、絶対に言わない」

春馬と少女の間には短い沈黙が流れた。康介が不思議そうに様子を見守っていた。

「じゃあ、さようなら」

少女はギターケースを背負い、その場を立ち去った。後ろ姿を見届けながら、春馬の胸には、ある感情が芽生えていた。

「おい、春馬。今の子、知り合いか?」

康介が怪訝そうに尋ねるが、春馬はただ首を振るだけだった。

「たぶん、うちの高校にいる子だよ。あの派手な髪の毛、見覚えがある。なんかすごい子だったな」

少女のもっていたギターケースには「ねおん」という千社札が貼られていた。彼女の名前なのだろうか、それともバンド名なのだろうか。それ以上の事は分からない。

春馬はぼんやりとした表情で新宿の夜空を見上げた。夏の終わりを告げる風が、どこか切なく彼の頬を撫でていった。

 

第2章: 偶然の再会

新学期が始まり、爽やかな風が街を駆け抜けていく。協和高校の校舎も、夏の日差しに焼かれていた面影を消し、やっとまともに授業を受けられる雰囲気になってきた(だから、夏休みがあるのだが)。

川田春馬は渡り廊下を歩くのをやめ、外に広がる青空を見上げた。

「秋というには、まだ少し早いかな」

そのつぶやきは誰にも聞こえないほど小さかった。この前の出来事が、春馬の胸にくすぶるように残っていた。あの日、新宿の路上で出会った赤髪の少女。彼女の存在が心の片隅に引っかかり続けている。

「あれ、本当に夢だったんじゃないか?」

そう思いたい気持ちと、いや確かに現実だったという確信が交錯する中、春馬は階段を降りて教室に向かう。恐らく今、この学校のどこかに彼女はいるはずだ。名前も知らないけど。


昼休み、春馬は友人の谷本康介といつものように屋上で昼食を取っていた。吹き抜ける風が心地よい。だから春馬がここが好きだ。

「なあ、春馬。なんか最近お前、ぼーっとしてること多くね?」

康介が唐突にそう言い出す。春馬は、はしの先で弁当の卵焼きをつつきながら顔を上げた。

「そんなことないだろ。いつも通りじゃん」

「いや、絶対なんかあるだろ。あれか、夏休みの宿題のことか?」

康介の言葉に春馬は苦笑いを浮かべた。確かに宿題が終わっていないのは事実だが、今の彼の心を占めているのはそれではない。だが、例の少女のことを話すわけにもいかず、曖昧な返事でその場を濁す。

「ま、別に大したことじゃないよ」

康介は疑念の目を向けたが、それ以上追及はしなかった。


その日の放課後、春馬は校門を出てからしばらくぶらぶらと歩いていた。学校から駅までの道のりは、学生たちで賑わっている。ふと立ち寄ったコンビニで飲み物を買い、ベンチに腰掛ける。

缶コーヒーのプルタブを開けた瞬間、聞いた覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「……だから、別に興味ないから」

視線を向けると、少し離れた場所に、あの赤髪の少女の姿があった。同級生らしき二人の女子と歩きながら話している。その表情にはどこか硬さがあり、会話を楽しんでいる様子ではない。

「山風禰音(ねおん)さん! いっつも、まっすぐ帰ってばっかりじゃなくて、たまには人付き合いってものを勉強して欲しいねぇ。みんなでカラオケとかさ!」

「……私、人前で歌うの、ちょっと苦手なんだ」

赤髪の少女、山風禰音の言葉は矛盾に満ちている、と春馬は思った。新宿の路上ライブでは、あんなに魅力的な歌声を出していたのに。

春馬は驚きと興味が入り混じった感情を抱えながら、顔を少し下に向け、目立たないようにしながら様子を伺っていた。やがて禰音の同級生らしき方は、諦めた様子で、繁華街の方に向かって行った。

「そんなんじゃ、いつか仲間外れにされちゃうよ〜!!」

禰音は、チラっと声の主の方を見ただけで、ひとりで駅の方へと歩いて行った。

春馬は衝動的に立ち上がり、彼女の後を追った。理由は自分でもよく分からない。ただ、何かを確かめたかった。


駅へ向かう途中、禰音は足を止めた。少し離れた場所にいた春馬も立ち止まる。彼女がゆっくりと振り返り、目が合う。

「……また、君なの?」

その声は冷たく、警戒心が滲んでいた。後を追いかけていたのがバレてしまったようだ。春馬は少し困ったような笑みを浮かべながら、こう否定した。

「偶然だよ。本当に」

「ふーん」

禰音はそれ以上何も言わず、再び歩き出す。春馬も彼女の後をついていこうとしたが、次の一言に足を止められた。

「ついてこないで!!」

その言葉は短く鋭かった。しかし、春馬はそこで引き下がることができなかった。

「ごめん、ただ……言いたいことがあるんだ」

禰音は再び立ち止まり、振り返った。

「なに?」

「この間、新宿で聴いた君の歌声。すごく良かったんだ。本当に。ヒビキの無機質な歌声とはまた違った良さで、びっくりした」

春馬の言葉は真っ直ぐで、飾り気がなかった。それを聞いた禰音は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにそれを隠すように目を伏せた。

「……そう。ありがとう」

彼女はそれだけを言い残し、再び歩き出した。春馬はその後ろ姿を見送りながら、胸の奥に広がる何かを感じていた。それが何なのか、彼にはまだ分からなかった。


その夜、春馬は自室で机に向かっていた。目の前には開いたままの教科書があるが、視線は窓の外に向けられている。夜風がカーテンを揺らし、部屋に心地よい冷気を運んできた。

「山風禰音……」

彼女の名前を呟くたびに、その姿が鮮明に蘇る。冷たそうな態度の中に垣間見えた寂しさ。それを思い出すたび、春馬の胸には不思議な感情が込み上げてくる。

「なんなんだろうな、これ」

自分でも整理がつかない感情に、春馬は軽く頭を振って机に目を戻した。しかし、結局その夜はほとんど勉強が手につかなかった。

外では秋の虫たちが静かに鳴き、季節の移ろいを感じさせていた。春馬の心にもまた、新しい季節が訪れようとしていた。

 

第3章: 抽象画

週末の夜、川田春馬の部屋の机の上にはマイクとウェブカメラ、そして彼の相棒であるゲームパッドが整然と置かれていた。壁際に立てかけられた三脚には、数日前に買ったばかりの新しいライトが取り付けられており、その光が彼の顔を優しく照らしている。

「よし、始めるか」

春馬は深呼吸をし、ゲーム実況配信のソフトを起動した。視聴者からのコメントが流れるチャット画面のセッティングを確認しながら、マイクに向かって明るい声を響かせる。

「みなさん、こんばんは! HAL BOYです。今日も元気に配信していくぜ〜! さて、今日は新作のアクションゲームをやっていきたいと思います!」

チャットには「待ってました!」「このゲーム気になってた!」「今日もテンション高いな!」といったコメントが次々と流れ込む。その勢いに押されるように、春馬は笑みを浮かべながらゲーム画面に集中した。学校での春馬と、実況配信者としてのHAL BOYは、まるで別人だ。

画面越しに聞こえるゲームの効果音、手元で刻まれるボタン操作のリズム、そして春馬の解説。それらが見事に調和し、視聴者たちは次第にゲームの世界観に引き込まれていく。しかし、その流れに乗り切れないのは、実況をしている当の春馬自身だった。


数日前、学校の記念館で偶然出会った山風禰音の姿が、どうしても頭を離れなかった。

その日、放課後の学校は静けさに包まれ、秋の日差しが差し込む記念館の廊下には、誰もいないはずだった。帰宅部の春馬は予定の無い放課後を持て余し、ぶらぶらと歩きながら、大きな油絵の手前で足を止めた。

そこには一人の少女が立っていた。赤く染めた髪、ダメージジーンズに真っ白なTシャツ、そして静かに絵を見つめる横顔。間違いなく、山風禰音だった。

春馬は一瞬ためらったが、自然と声をかけていた。

「この絵、好きなの?」

禰音は驚いたように顔を上げ、振り返った。その目が春馬と合う。冷たさと警戒心が滲む視線だったが、どこか戸惑いも見えた。

「……また君?」

春馬は困ったように笑い、少しだけ肩をすくめた。

「偶然だよ。本当に」

禰音はその言葉を信じる素振りも見せず、再び油絵に視線を戻した。廊下には二人の間に流れる微かな沈黙だけがあった。その沈黙に耐えられなくなった春馬が、禰音に問いかける。

「この絵、何か特別な思い出でもあるの?」

抽象画なので、何が描いてあるのかは分からない。しばらくの沈黙の後、禰音は小さく息をつき、絵の前から一歩離れた。

「別に。ただ、ここは静かだから」

その言葉には、彼女の心の一部を垣間見せるような響きがあった。春馬はその答えに特に突っ込まず、彼女の隣に立った。

「俺も、この場所好きだな。なんか落ち着くよね」

禰音は何も言わずに春馬を一瞥し、再び絵に目を向けた。その横顔には、どこか物思いにふけるような表情が浮かんでいた。

「君がここを好きなのは否定しない。ただ、私はここに一人で居るのが好きなの」


その後のゲーム実況中、春馬は再び禰音の姿が頭から離れなかった。記念館の廊下での短い会話、その静かな時間が彼の心に強く刻まれていた。

「おっと、ミスった!」

ゲーム内でキャラクターが穴に落ちた瞬間、春馬は慌てて声を上げた。チャット欄には「ドンマイ!」「集中して!」「珍しいなw」といったコメントが飛び交う。春馬は気を取り直すように笑いながら応じた。

「いやー、今のはわざとじゃないですよ! 次こそちゃんと決めますから!」

視聴者たちはその言葉に笑い、配信は再び盛り上がりを見せた。しかし、春馬の胸にはどこか焦燥感が広がっていた。


配信が終わったのは深夜のことだった。いつもなら達成感と充実感に包まれるはずの時間だが、この日は何かが違っていた。椅子にもたれかかり、天井を見上げる。

「俺、何やってんだろうな……」

呟きは、部屋の静けさに吸い込まれるように消えていく。彼は机の上に置かれたスマホを手に取り、SNSの通知を確認した。視聴者たちからの感謝や感想のメッセージが並ぶ中、不意に指が止まる。

「……カノンの新曲アップされてる!」

それは、ボカロPカノンの新曲だった。春馬は迷わずリンクを開き、イヤホンを装着する。流れ出したメロディは、どこか切なく、それでいて温かさを感じさせるものだった。

歌詞に込められた感情が、春馬の胸を揺さぶる。

「絵の前から立ち去るキミ。追いかけて、触れることのできない光。それでも、その温もりを知ってしまったから」

そのフレーズが耳に届いた瞬間、彼の中で何かが弾けたような気がした。この曲は、まるで自分に向けられたものではないか–そんな錯覚さえ覚える。山風禰音は、本当にカノンだったのだろうか?

翌朝、学校の廊下を歩きながら、春馬は記念館での出来事を何度も思い返していた。禰音との短い会話が、彼にとって大きな意味を持っているように感じられてならなかった。

しかし春馬は禰音が何年何組に所属しているのかさえ、知らなかった。

 

第4章: 禰音の胸の内

夕暮れ時の協和高校は静かだった。秋の空気はすっかり澄み渡り、赤く染まった木々が窓越しに放課後の校庭を暖かく彩っていた。山風禰音は、いつものように人の少ない場所を求めて校舎の片隅にある記念館へと足を運んだ。

記念館の廊下には、過去の卒業生が描いた大きな油絵が並んでいる。禰音にとって、この場所は安心できる隠れ家のような存在だった。賑やかな教室や、誰かと群れる昼休みとは無縁の空間。その静寂が、彼女の心を落ち着かせてくれる。

禰音は油絵の一つに目を留めた。それは、どこか懐かしさを感じさせる田園風景を描いたものだった。黄金色に輝く稲穂と、その向こうに広がる青空。絵に描かれた風景は、一年前まで住んでいた岩手の風景を彷彿とさせた。

「ここにいると、時間が止まるみたいで落ち着くな……」

小さく呟いた禰音の声は、誰にも届かない。彼女の胸には、故郷と家族を思い出すたびに広がる喪失感があった。それは、時間が経っても消えない痛みだった。


禰音が東京に来たのは、高校一年生の夏だった。両親が交通事故で亡くなり、故郷を離れて東京郊外に住む祖母に引き取られた。環境の変化は大きく、岩手の静かな田舎町とはまるで違う生活。四月の仲間づくりの時期を逃してしまったのもあり、新しい学校で友達を作ろうと努力は一応したが、深いところで心を開く友人を作ることはできなかった。

「また、誰かを失うのが怖いのかな……」

その恐れが、禰音の心を縛り付けていた。誰かと親しくなればなるほど、失った時の痛みが大きくなる。その考えが、彼女を孤立させていった。

何より両親を失った喪失感から、まだ立ち直っていなかった。

だが、そんな中でも禰音にはひとつの救いがあった。それは、母親が遺した音楽だった。

禰音の母は雅楽演奏者だった。幼い頃、家には常に雅楽の音色が響いていた。穏やかで、どこか神秘的なその音色は、彼女にとって母の存在そのものだった。母が亡くなった後も、その音楽を聴いていると、まるで母と話しているような気がしていた。

父はコンピューターエンジニアだった。父の部屋にはたくさんの機材やプリントアウトしたプログラム用紙が並んでおり、禰音はその中で遊ぶのが好きだった。父の影響で、禰音は自然とテクノロジーに触れるようになり、音楽とコンピューターを融合させることを考えるようになった。

「音楽は、私の中にある感情を表現してくれる」

そう思った禰音は、自分だけの音楽を作るために、父の遺した機材でAIボーカリストをチューニングし始めた。そして完成したのが、”ヒビキ”だった。ヒビキは禰音にとって、単なる音楽ソフトではなく、彼女自身の分身とも言える存在だった。


カノンとしての活動は、禰音にとって特別な意味を持っていた。誰にも知られずに、自分の感情を楽曲に込めて発信すること。それは、彼女にとって自由を感じられる唯一の手段だった。

「現実の私は、きっと誰にも必要とされていない」

そう思うこともあった。だが、カノンとして発表する楽曲が誰かに届き、共感を得るたびに、禰音は少しずつ自分の存在を肯定できるようになっていた。わずか半年ほどの活動で、カノンは「有名ボカロP」と呼ばれるようになっていた。

その一方で、最近の春馬との出会いは、彼女の心に微かな揺らぎをもたらしていた。

「彼は、どう思っているんだろう」

禰音は自分の心に問いかけた。カノンの曲は自分が作っている、と打ち明けた唯一の相手。その事を、彼はどこまで信じているだろうか? ボカロPのカノンではなく、ただの山風禰音は、彼にとって同じ価値を持つのだろうか。その答えは、彼女自身にも分からなかった。

窓から外に視線を向けると、校庭にはまだ数人の生徒が残っていた。その中に春馬の姿を見つけたとき、禰音の胸が少しだけ締め付けられるような感覚に襲われた。

「私は、ここに一人で居るのが好きなんだ」

禰音は、まるで自分に言い聞かせるかのようにつぶやいた。それでも、春馬の存在が目に入る。禰音の心の中で何かがザワザワとしていた。


その夜、禰音は自分の部屋でぼんやりと机に向かっていた。目の前には開いたノートパソコンと、イヤホンが置かれている。ふいにスマホが振動し、画面に春馬からのメッセージが表示された。

「なぜ俺にだけ正体を明かしたの?」

もちろん、春馬に連絡先を教えた訳ではない。誰でも送る事ができる「カノン」宛のメッセージだった。

短い問いかけだったが、その言葉には重みがあった。禰音は画面を見つめたまま、何も入力せずに時間が過ぎていく。

「なんでだろう……」

心の中で何度も繰り返したが、明確な答えは見つからなかった。自分でも分からない。ただ、あのとき、彼には話してもいいと思った。それだけだった。

メッセージを閉じ、禰音は深く息をついた。返事をしないまま、スマホを裏返して机の上に置いた。胸の奥に渦巻く感情を整理する術を、彼女はまだ知らなかった。


1週間後、カノンとしての禰音は新曲を発表した。その楽曲は、どこか柔らかさと切なさを併せ持つメロディが特徴だった。公開された動画のタイトルは『瞳の向こう』。その歌詞の中に、視聴者たちの心を強く惹きつける一節があった。

「あなたの瞳に吸い込まれた。迷いながらも、その温もりを忘れられない。だから、本当の自分を打ち明ける事が出来た」

その言葉は、まるで春馬とのやり取りに対する無言の返答のようでもあった。春馬もまた、この新曲を聴き、禰音がどんな思いでこの楽曲を作ったのかを考えずにはいられなかった。動画のコメント欄には「心が震える」「この曲、泣ける」といった反響が次々と寄せられ、楽曲は瞬く間に多くのリスナーの心を掴んでいった。

禰音はその反響をスマホ越しに眺めながら、「これで良かったの?」と心の中で自問していた。多くのリスナーに受け入れられたという事実に少しの喜びを感じながらも、どこか満たされない思いが胸を締め付けていた。

春馬への答えを曲に込めたつもりだったが、それが正しい選択だったのか、禰音自身も分からなかった。春馬からのメッセージは、まだ届いていない。

“私は、ただ逃げただけなのかもしれない”

胸の内で呟いた言葉は、静かな夜の中で彼女の心をより一層揺さぶった。スマホの画面を閉じると、禰音は再び深い沈黙の中に沈んでいった。

 

第5章: 変わることの恐れ

澄んだ秋空が広がる放課後の協和高校。山風禰音は校門を出てしばらく歩いた後、ふと立ち止まった。冷たい風が頬を撫で、彼女の赤く染めた髪を揺らす。

「変わらなきゃ……」

自分に言い聞かせるように呟いた。春馬との出会い、そして彼のまっすぐな言葉が、禰音の心を少しずつ動かしていた。だが、その一方で、自分を変えることへの恐れが同じくらい強く心を締め付けていた。

変わること。それは、自分自身を否定するような感覚でもあった。これまで築き上げてきた鎧、周囲との距離を保つことで得た安定感。それを失うのは、まるで素肌のまま嵐の中に立たされるような不安を伴う。

「私は、ただの山風禰音。カノンとは違う。どこにでも居る、目立たない存在でいいはずだろ?」

胸の内でそう呟きながらも、春馬の顔が何度も頭をよぎる。

特別、仲がよくなった訳では無い。少し、会話をしただけだ。ただ、禰音の心の奥深くに隠していた感情が揺れ動いていた。


帰宅して自室に戻った禰音は、机に向かいノートパソコンを開いた。目の前の画面には、カノンとして投稿している動画のリストが並んでいる。コメント欄にはファンからの感謝や称賛の言葉が溢れていた。

「この曲、私の人生を救ってくれた」「カノンさんの楽曲が心の支えです」

それらの言葉に目を通すたび、禰音は小さな安堵を覚える。それでも心の奥底では、カノンとしての自分と、山風禰音としての自分との間に広がる深い溝を感じていた。

「カノンの曲を好きになってくれているのは嬉しい。でも……」

禰音はベッドサイドに立てかけてある鏡に写る自分の顔を見つめた。

「ま、ヒビキは私の力だけで作った訳でもないし!」

AIボーカリスト、ヒビキのチューニングには父の遺品の機材を使っている。チューニングに使ったデータには、母の残した音もMIXしてある。だから、自分は決して一人ではない。禰音は、いつもそう思うようにしている。

ただ、春馬がその事をどう思っているのかが、気になった。

禰音は、自分のIDで春馬にメッセージを送った。

「私も、君のゲーム実況、見た事あるよ」

既読がついて1時間経っても、春馬からの返信は無かった。

春馬もまた、何と返信して良いのか分からなかった。


翌日、禰音は学校の中庭にある池のほとりで一人佇んでいた。そこは普段、生徒たちがあまり訪れない静かな場所だった。彼女の手にはスケッチブックが握られている。描かれているのは、自分が思い描く理想の姿。AIボーカリスト、ヒビキのイメージイラストだった。

「ちょっと、嫉妬しちゃうな」

ヒビキのイメージイラストは、「カノン」がラフを描き、ファンが思い思いの色を重ね、みんなで一緒に作り上げている。禰音だけでなく、ファンのみんなも、ヒビキに理想の女性を重ね合わせている。

禰音はペンを置き、スケッチブックを閉じる。

現実の自分と理想の自分、もしくはカノンやヒビキ。理想の自分が大きくないうちは、その間に横たわる溝など気にならなかったし、勿論いまも気にしないようにはしている。

ただ、その差が大きくなりすぎないうちに、ボカロPとしての活動を止めた方が、精神的に良いのではないか、という思いが、禰音の頭をよぎる事がある。

いつか自分の才能が枯渇して、作りたいものが無くなってしまう時がくるのではないか。正直、ここまで人気が出るとは思っていなかった。

だから、楽しいものは、楽しい状態のまま、終わりにしておくのが美しいのではないか? もう、この辺で十分だろう……。

それは、周囲とは一線を引いている彼女の人間関係にも似た考えだった。

その時、ふと春馬の声が聞こえてきた。

「今日は、ここにいたんだ」

驚いて顔を上げると、彼が中庭の入口に立っていた。その笑顔が、少し眩しい。

「何してるの?」

「別に……ちょっと、考え事してただけ」

禰音はスケッチブックを隠すように膝の上に置いた。春馬はその様子に気づいたが、特に触れず、彼女の隣に腰を下ろした。

「ここも、静かでいい場所だよな」

春馬の無邪気な言葉に、禰音は少しだけ微笑んだ。

「どうして、私がここにいるって分かったの?」

「学校の中で、静かで落ち着く場所なんて、限られてるだろ?」

禰音は自分の行動が、いや、行動だけでなく、自分が何を考えているのかさえも、春馬に見透かされているような気がして、少し嫌な気分になった。

しばらく二人の間に沈黙が流れた。禰音も春馬も、沈黙には慣れてきていた。やがて、春馬がぽつりと口を開いた。

「俺さ、最近ちょっと考えてることがあるんだ」

「何を?」

「変わることって、難しいけど面白いよなって」

その言葉に、禰音の胸がざわついた。彼の言葉は、自分の心に刺さるように響いた。まるで、今の自分の悩みを知り尽くしているかのようだった。

「どうしてそう思うの?」

「だって、変わらなきゃ見えない景色ってあるだろ? 俺もゲーム実況とかしてるけど、最初はただの趣味だったんだ。それが今じゃ、いろんな人と繋がれてる。変わるのって怖いけど、その先に何かあるかもしれないって思うと、ワクワクしない?」

禰音はその言葉に戸惑いを隠せなかった。自分を変えることに対する恐怖を知っているからこそ、春馬の前向きな言葉が眩しすぎるように感じられた。

「実況しながら、そんな事を考えていたんだ。私には……そんな風に思えない」

ポツリと呟いた禰音の声に、春馬は少しだけ驚いたようだったが、すぐに柔らかく笑った。

「そっか。でも、無理に変わる必要はないんじゃない? ただ、自分が変わりたいと思ったら、そのときにちょっとずつ進めばいい。って、誰か偉い人が言ってた」

その言葉は、禰音の胸の奥に小さな灯りをともした。それが希望なのか、期待なのかは分からない。ただ、春馬の言葉に救われた気がした。


その夜、禰音は再び自室でスケッチブックを開いた。そして新しいページにペンを走らせた。そこに描かれているのは、今の自分に少しだけ笑顔を足した姿だった。

「変われるのかな……」

小さな声で呟いたその言葉には、不安と期待が入り混じっていた。自分を変えること。その一歩を踏み出す勇気を、彼女は少しだけ感じ始めていた。

 

第6章: 初めての声

協和高校の学園祭が近づいていた。校舎全体が慌ただしく動き始め、生徒たちの活気が廊下や教室を埋め尽くしている中、山風禰音はその喧騒をよそに、静かに校舎裏のベンチに座っていた。

禰音の手元には歌詞カードが握られている。その紙には彼女が書き溜めた自分の想いが綴られていた。

禰音は今回の学園祭で、カノンPが作った曲を歌う事にした。自分が作った曲だという事を隠し、コピーバンドとして。

これまではAIボーカリストのヒビキがそのすべてを歌い上げてきたが、今回の学園祭では、自分自身の声でその歌詞を歌う事にしたのだ。

「本当に、できるのかな……」

そう呟いた禰音の声は震えていた。

それは禰音の中では大きな決断だった。自分にとっての「ちょっとずつ」。それは自分の曲を自分の声で歌う事だった。

人前で歌うのも、あの日、新宿の路上で歌ったのが始めてだった。まずは小さな第一歩のつもりだったけど、あの時は、春馬が声をかけてくれた。

ただ大勢の観客の前で、いきなり上手く歌えるのだろうか?

胸の奥に広がる不安は、消え去るどころか、時間とともに大きくなっているようだった。


準備の合間に教室に戻ると、クラスメイトたちはみんな学園祭の飾り付けに夢中になっていた。誰もが笑顔で、誰もが楽しそうだった。その輪の中に入ることができない自分を禰音はどこか冷めた目で見ていた。

「禰音ちゃん、ちょっといい?」

突然、後ろから声をかけられた。振り向くとクラス委員の小川奈々が立っていた。

「ステージのリハーサル、今日の放課後だけど大丈夫?」

「うん、大丈夫」

禰音は簡単に答えたが、心の中ではその言葉が嘘にならないか不安だった。リハーサルで失敗したらどうしよう。みんなに笑われたらどうしよう。その考えが頭から離れなかった。


放課後、音楽室でリハーサルが始まった。軽音楽部所属の谷本康介が、進行役として要領よくリハーサルを進めていた。

「全部で5組がステージに上がる。1組の持ち時間は、準備の時間やMCを入れて10分間。その時間内だったら、何曲歌ってもOKだけど、絶対に押さないでね!」

禰音の番がきた。音楽室の小さなステージに立つと、目の前には練習用のマイクと機材が用意されている。その中に、ヒビキの分の機材は入っていない。

「さあ、準備できたら始めて」

康介の合図で禰音は深呼吸をし、マイクを手に取った。禰音は1曲だけ歌う事にしていた。MCはない。曲のイントロが流れる。心臓が大きく跳ね、体中の血液が逆流しているような感覚に襲われた。

「怖い…」

声にならない声でそう呟きながらも、彼女はマイクを握り直した。そして、歌い始めた。

最初の音が部屋に響いた瞬間、禰音は自分の声がどれほど震えているかに気づいた。自分の声で感情を伝えることがこんなにも難しいとは思わなかった。ヒビキなら、完璧にこの感情を表現できるのに。禰音の心に焦りが生じ始めた。

しかし、歌い続けるうちに、少しずつリズムが体に馴染んできた。

「そうだ。この曲は私が作ったんだった。だから、この曲の事は、私が一番良く知っている」

そう思うと、少し落ち着いてきた。声が震えることを恐れず、自分の想いをそのまま乗せることだけを考えた。歌い終わったとき、部屋は静まり返っていた。

「すごいじゃん! どこかでこっそり練習してたの?」

康介が優しく微笑みながら拍手を送る。その言葉に、禰音は少しだけ安堵した。


帰り道、春馬が待ち伏せしていた。康介からリハーサルのことを聞いたのだろう。彼は笑顔で手を振った。

「お疲れ。どうだった?」

「まあ、なんとか……」

禰音は答えながらも視線をそらした。

「君は1組で、俺は7組だから、学年が一緒でも、なかなか顔を合わせなかったんだな」

春馬は余計な情報までGETしていた。

「本番もその調子でいけるよ。君なら絶対大丈夫だから!」

春馬の言葉は簡単だったが、禰音には重く響いた。彼の期待に応えることができるのだろうか。

「まあ、頑張るよ……」

そう返すのが、精一杯だった。

 

第7章: 川の音

協和高校の学園祭のステージ前は、観客で埋め尽くされていた。クラスメイトや保護者、さらには近所の住民も集まり、イベントを楽しんでいる。控え室で準備をしている山風禰音は、心臓が壊れそうなほど高鳴るのを感じていた。周りはみんなバンドを組んでいる。一人でステージに立つのは、禰音だけだ。

ステージ上では次の出番が近づいているアナウンスが流れている。禰音は控え室の鏡の前で、緊張に耐えきれず何度も深呼吸を繰り返した。

「これが最後じゃない。ただ、今の自分を出せばいい……」

そう言い聞かせても、不安は消えない。彼女の胸には、自分の声で感情を伝えることができるのかという恐怖が渦巻いていた。


いよいよ禰音の番がやってきた。観客席は少し騒がしかった。リハーサルを聴いた一部の人間以外は、誰も禰音の事を期待していない。禰音は深く息を吸い込み、ステージに向かう足を踏み出した。

ステージ中央に立ち、観客を見渡すと、思った以上の人の多さに圧倒された。視線がぶつかるたびに胸が締め付けられるような感覚に襲われたが、袖口から覗いていた春馬の親指を立てるジェスチャーに気づき、ほんの少しだけ心が落ち着いた。

「今日は、予定を変えて、私のオリジナル曲を、自分の声で歌います」

禰音の声は緊張で震えていた。

「へぇ、オリジナルかぁ。カノンのコピーじゃないんだね。面白そう」
「高校生なのに、頑張ってるじゃん」

観客たちは温かい拍手を送ってくれた。ミキサー卓から、康介も応援してくれた。

「頑張れ〜!」

その優しさに支えられるように、彼女はマイクを握り直した。

「聴いてください、‘川の音’」

曲のイントロが流れ始めると、会場全体が静まり返り、禰音の声がステージいっぱいに響き渡った。

「川のせせらぎ、心を揺らす… 君の瞳に映る空は どこまでも澄んでいて 私を迷わせる」

禰音の声は、最初はわずかに震えていた。しかし、歌い続けるうちに、次第に感情が込められた豊かな響きに変わっていく。

「川の音が教えてくれた 流れるままに生きること それでも逆らう勇気を 私は手に入れたい」

観客たちは、彼女の歌声に心を奪われていた。まっすぐで透明感のある声が、歌詞に込められた切実な想いをまるで直接語りかけるように伝えてくる。大きなどよめきが、ステージの上の禰音にも伝わってくる。

「君と歩いた川沿いの道 いつか振り返るそのときには この音が胸の奥に 響いていますように」

最後のフレーズを歌い上げた瞬間、会場は一瞬の静寂に包まれた。そして次の瞬間、大きな拍手と歓声が沸き起こった。

禰音は深く頭を下げ、涙をこらえることができなかった。緊張と不安、そして歌い切ったという達成感が一気に押し寄せてきた。


ステージを降りた後、控え室に戻った禰音を迎えたのは春馬だった。

「すごかったよ、禰音! 本当に感動した」

「ありがとう……」

禰音は微笑みながらも、まだ心の中で湧き上がる感情を整理できていなかった。春馬はそんな彼女の様子に気づき、静かに隣に座った。

「お前の声、めちゃくちゃ伝わったよ。俺もすげえ泣きそうになった」

その言葉に、禰音の目からまた涙が溢れた。それは、春馬の前で禰音が初めてみせた、一人の少女としての姿だった。

「自分の声で歌うのが怖かった。でも、こうやって届いたなら、それでいいんだよね」

「そうだよ。それでいい」

春馬の力強い言葉に、禰音は初めて心の底から安心した。そして、その瞬間、彼女は自分が一歩前に進めたことを確信した。

控え室の窓から見える夕暮れの空は、どこまでも澄み渡っていた。その空の下、彼女の歌声は確かに誰かの心に届いていたのだ。

 

第8章: 揺れる灯りの下で

学園祭のフィナーレを飾るキャンプファイヤーの炎は、夜空に向かって舞い上がるように揺れていた。夜の帳が下りる中、木々の間を抜ける風が炎の輪郭をぼかし、その周囲を囲む人々の顔を温かい橙色に染めていた。

山風禰音は、火のそばから少し離れた木陰に座り、その様子を見ていた。彼女の周りを包む静けさは、熱気と歓声の渦から切り離された別世界のようだった。顔に当たる炎の温もりを感じながらも、その目は遠くを見つめていた。

「この灯りも、いつか消えてしまうんだよね……」

心の中でそっと呟く。その揺らめく炎は、今の自分の不確かな気持ちそのもののように思えた。先ほどのステージで歌った「川の音」。それを聴いてくれた人々の拍手や歓声は、確かに自分に向けられたものだった。

だが、それも、ステージが終わると消えてしまう。その事が、少し寂しかった。


「ここにいたのか」

声がして振り向くと、そこには川田春馬が立っていた。彼の顔は炎の灯りに照らされ、どこか穏やかで、それでいて決意を秘めたような表情をしていた。

「人が多いと、ちょっと疲れるから」

禰音は軽く微笑みながら答えた。その言葉の裏には、まだ整理しきれない心情が隠れていたが、春馬は深く詮索することはなかった。

「俺も、ここで少し休んでもいい?」

「うん」

春馬は彼女の隣に座り、炎を眺めた。しばらくの間、二人の間には言葉がなかった。少し冷たい秋風が、二人の物理的な距離を縮めていた。

「なあ、禰音」

不意に春馬が口を開いた。その声には、普段の軽快さとは違う、どこか深いものが宿っていた。

「何?」

「今日のステージ、本当にすごかった。お前の声がさ……なんていうか、すごく温かかったんだ」

禰音はその言葉に驚き、春馬の横顔を見つめた。春馬は視線を炎に向けたまま、続けた。

「俺、あの歌を聴いて思ったんだ。川の音ってさ、ただ静かに流れてるだけじゃないよな。その下には、いろんなものが隠れてる。石ころとか、枝とか、いろんな流れがあって、でも全部が合わさって、あの音になるんだ」

「……そうかもね」

禰音は少し戸惑いながらも、春馬の言葉に耳を傾けた。

「お前の歌も、そんな感じだった。いろんな感情が混ざってたけど、それが全部ひとつになって、俺たちに届いたんだと思う」

禰音は言葉を失った。春馬の言葉は、まるで彼女自身の心の奥に触れるようだった。自分が表現しようとしていたものを、こんなにも正確に受け取ってくれる人がいることに、驚きと感動を覚えた。

「それでさ」

春馬が一歩、彼女に近づいた。その顔には、ほんの少しの緊張と、確かな決意が混ざっていた。

「俺、お前のこと、好きだ」

その言葉は、まるで炎の中で爆ぜた木の枝のようだった。静かな夜に響く一言が、禰音の心を大きく揺らした。

「……どうして?」

禰音は思わず問い返した。自分の中で、春馬の言葉をそのまま受け入れるには、まだ整理できない感情が渦巻いていた。

「どうしてって……お前が自分のことを伝えようとしてる姿が、すごく格好良かったからだよ。お前みたいに、自分の想いをまっすぐ伝えられる人がちょっと羨ましいなって」

春馬の言葉はまっすぐで、そこには何の迷いもなかった。その純粋さに、禰音は胸が熱くなるのを感じた。

「でも、私……」

「いいんだよ、答えは急がなくて。ただ、これだけは知っておいてほしい。お前の歌声も、お前自身も、俺にとってはすごく大事なんだって」

禰音は目を伏せたまま、静かに頷いた。彼の言葉が心の中で温かい光となって広がっていくのを感じていた。


キャンプファイヤーの灯りが次第に小さくなり、やがて夜の静けさが戻ってきた。空を見上げると、満天の星が輝いている。

「星、きれいだね」

禰音が呟くと、春馬も空を見上げた。

「そうだな。お前が見つめてるから、余計に輝いて見えるのかもな」

その言葉に、禰音は少しだけ笑った。その笑顔は、彼女自身も気づいていなかったが、これまでのどの瞬間よりも柔らかく、温かいものだった。


第9章: 出発の足音

冬の冷たい風が、協和高校の校庭を吹き抜けていく。落ち葉が舞い上がり、校舎の壁に当たる音が遠くから微かに聞こえる。学園祭の熱気から数週間が経ち、季節はすっかり移り変わっていた。

山風禰音は自室で、カノン名義の新曲を投稿する準備をしていた。その曲のタイトルは「出発」。彼女自身の心境を映し出したような歌詞が、彼女のオリジナルAIボーカリスト・ヒビキの声で歌われる。

「遠くの空を見つめて 行き先も知らないまま それでもこの道を歩いていく 心に響く音を信じて」

禰音は、投稿する前に一度通しで曲を聴き直した。彼女が歌詞に込めた想い。それは、自分の内側に秘めた迷いや希望、そしてこれからの未来への小さな一歩だった。

「これでいい」

禰音は深く息をつき、投稿ボタンを押した。カノンとしての活動を通じて、今まで何度もこうして曲を発表してきたが、今回は少し特別な気持ちだった。


その夜、川田春馬は自室でゲーム実況の準備をしていた。だが、目の前のモニターに表示された通知が彼の手を止めた。

「カノンの新曲か……」

春馬はすぐにイヤホンを手に取り、曲を再生した。イントロが流れると、彼の胸にじんわりと暖かいものが広がる。歌詞が進むにつれ、禰音が込めた想いがはっきりと伝わってきた。

実況の冒頭、春馬は視聴者に語りかけた。

「今日はちょっと特別なことをしようと思う。俺がめっちゃ好きなボカロPの新曲が出たんだ。その曲を聴いて、みんなにもぜひ紹介したくてさ」

インターネットを伝わっていく「出発」の音色。春馬の軽快なトークの合間に、曲の感想が挟まれる。

「この歌詞がさ、すごくいいんだよ。『心に響く音を信じて』ってところ。なんか、背中を押される感じがするよな」

視聴者からも共感のコメントが次々に流れた。

「いい曲だね!」「誰が作ったの?」「歌詞が泣ける!」「カノン、俺も好き!」

春馬は画面越しのコメントに笑みを浮かべながら、自分自身もこの曲にどれだけ励まされているかを改めて実感していた。


年が明ければ、高校生活も残りわずか。春馬は、禰音と一緒に過ごす日々が限られていることを意識し始めていた。二人で帰り道を歩くときも、その沈黙にはこれまでにない重みがあった。

「もうすぐ卒業だね」

禰音がぽつりと呟く。声は静かだったが、その奥にはいろいろな感情が詰まっていた。

「ああ、そうだな。でもさ、別に卒業したって終わりじゃないだろ?」

春馬はいつものように明るく答えたが、彼自身も少しだけ胸がざわついているのを感じていた。大学に進む者、就職する者、別々の道を歩む者。それぞれが新しい生活へと向かっていく。その中で、禰音と自分が離れ離れになる可能性もあった。

「距離が離れたら、どうなるんだろうね」

禰音の言葉に、春馬は少しだけ歩みを止めた。そして、真剣な目で彼女を見つめた。

「俺たちは大丈夫だよ。お前の歌声だって、俺の声だって、どこにいたって届くだろ?」

その言葉に、禰音は少しだけ笑みを浮かべた。

「そうだね。きっと大丈夫」

その瞬間、二人の心が確かに繋がっていることを感じた。それは言葉にするまでもない、静かで強い確信だった。


空には満天の星が広がり、冬の澄んだ空気が二人の間を静かに流れていく。「出発」の歌詞が禰音の頭の中で静かに響いていた。

「この空の下、どこにいても きっとまた会える それまでこの音を胸に抱いて 歩いていくんだ」

二人はその夜、いつものように「おやすみ」と言い合って別れた。だが、その背中にはこれからの未来へ向かう確かな力が宿っていた。

 

エピローグ: 音がつなぐもの

夏の気配が感じられる六月の初め。新幹線の窓から流れる風景を眺めながら、川田春馬は軽くため息をつき、自分の行動を少し後悔していた。

「京都に着いたら、何を話せばいいんだろうな……」

独り言のように呟きながら、スマホの画面を開く。そこには、つい先日投稿されたカノンの新曲の動画が再生されたまま止まっている。その曲は「風の便り」。

「風が運ぶ言葉のように 君の声が遠く届く 離れていても、想いはきっと この空の下でつながる」

春馬はイヤホンを耳に差し直し、曲を再生した。静かなイントロが耳に流れ込み、徐々に力強くなるメロディが胸に響いた。カノンの楽曲はこれまでもずっと彼を支えてくれていたが、この曲には特別な意味があるように感じられた。

禰音は京都の音楽大学に進学し、雅楽の知識と技術を深める道を選んだ。一方で、春馬は浪人生として東京に残り、勉強の合間にゲーム実況を続けている。彼の実況にはカノンの新曲を紹介するコーナーが定番となっており、視聴者からは「この二人、実はつながってるんじゃないか」と冗談混じりに言われることもある。

だが、実際には二人の間に特別な会話はほとんどなかった。電話もチャットも、禰音が自分から話しかけることは滅多にない。だから、春馬の方からアクションを起こす事も滅多になかった。一緒に側にいるならともかく、お互い無言のチャットは成立しない。

それでも春馬は、カノンの曲を通じて禰音の近況を感じ取っていた。


「まもなく京都、京都です」

車内アナウンスに、春馬は軽く伸びをした。荷物をまとめ、降車の準備を整える。新幹線のドアが開くと、初夏の京都の風が彼を包んだ。

改札を抜けると、駅前は外国人観光客で一杯だった。日本人の方が少ないくらいだ。みんなが「和」や「歴史と伝統」を求めて、はるばる海外から京都にやってきている。

「音楽大学なんだから、静かな所にあるんだろうな?」

彼はスマホの地図アプリを確認しながら歩き始めた。禰音に事前に連絡をすることはしなかったが、なんとなく会える気がしていた。それが彼らしい行動でもあった。


バスが鴨川を越え、音楽大学の前に着いた。伝統ある、というよりは、やや古びた建物がそこにはあった。正門から中庭が見え、その奥には雅楽の練習場と思われる施設がある。風に乗って、笙の音色が微かに聞こえてきた。

その音色に耳を傾けていると、中庭のベンチに腰掛ける赤い髪の少女の姿が目に入った。彼女はスケッチブックを膝に置き、何かを描いているようだった。

「み〜つけた!」

春馬が近づくと、禰音は顔を上げた。その表情には驚きが浮かんだが、次第に柔らかな微笑みに変わった。

「どうして、ここに?」

「別に、ただ会いに来た。なんとなくな。あと、静かで落ち着く場所を探していた」

春馬の言葉に禰音は小さく笑った。それ以上の説明を求めることもなく、彼女はスケッチブックを閉じた。

「久しぶり」

「久しぶり」

短い挨拶が交わされたあと、二人の間に少しの沈黙が訪れる。その沈黙は、重たさではなく穏やかさを伴ったものだった。

「こっちではどう? 忙しい?」

春馬が尋ねると、禰音は少し考えてから答えた。

「うん、忙しいけど……楽しいよ。笙も少しずつだけど、音がきれいに出せるようになってきた」

その言葉に、春馬は嬉しそうに頷いた。

「そっか。それ、聞いてみたいな」

「いつかね。浪人生の分際で、京都旅行なんて贅沢ね」

禰音はそう言ってまた笑った。その笑顔を見て、春馬は改めてここに来てよかったと思った。


午後の日差しが強くなる中、二人は鴨川沿いを散策した。言葉は少なくとも、互いの存在が心を満たしていた。離れていた時間が嘘のようだった。

「これからも、カノンの曲、楽しみにしてるから」

春馬がそう言うと、禰音は少しだけ頬を赤らめながら頷いた。

「ありがとう」

二人の声は、風に乗ってどこか遠くへと運ばれていった。

新たな季節の始まりを感じさせる空の下で、二人はまた別々の道を歩み出していく。その道がどれだけ離れていようとも、二人の間にある音楽が、確かな絆として彼らをつないでいくのだった。

(了)

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