建国への道その1:原点

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「経済的に安定した独立国家を作る」というのが、自分の中・長期的な目標なのですが、いったい何をやろうとしているのか、どうやって実現しようとしているのか良く分からん、という人も多いと思うので、その辺の事を少しずつ説明していきたいと思います。

初めての方のために、まず簡単に自己紹介など。

本名:内田勉。1971年生まれ(43歳)。バツイチ子持ちの会社社長です。テレビ番組の制作とシェアハウスの企画運営がメインという不思議な事業構成です。過去に5つ会社を設立して、2社が現存し、そのうちの1社を経営しています。まぁ、打率2割といったところでしょうか。会った人は分かると思いますが、少し変わり者です。こればっかりは努力したけど、治りませんでした(^^;

いつ頃から独立国家の建設を考えだしたかというと、具体的にまとまってきたのは2014年の春頃なのですが、自分の中で「原点」ともいえるような出来事があったのは、20代の後半の頃です。まずはその頃の話から書きます。

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当時僕は、とある番組制作会社の社員で、そこから派遣されて某テレビ局でディレクターとして働いていました。学校を卒業して1度会社を変わっているので、2つ目の会社です。最初の会社から引き抜かれる形で移籍して、入社当初からテレビ局に派遣されていたので、自分の会社に行った事はほとんどなく、正直、社員という実感はありませんでした。

番組作りで忙しい日々を送っている最中、突然、本当に突然に、その会社が倒産しました。まさに晴天の霹靂という感じだったのですが、給料の支払いが遅れたり止まったりしていたので、今から考えればそれなりの予兆はあったはずです。ただ、何しろ自分の会社に顔を出す事がほとんどなかったのと、まさかつぶれるとは思っていなかったので、察知する事ができませんでした。倒産の原因はバブル期の無計画な不動産投資が原因ともいわれましたが、随分前の話だし、途中入社の僕にはハッキリとは分かりませんでした。

気がついたら自分の派遣元の会社がつぶれている、という事は即ち失業状態という事を意味します。しかも、給料の払いが止まったりして貯金を取り崩して生活していたので、お金がありません。割とすぐ生活に困る状態でした。

幸いこの時は、それまでの仕事ぶりが評価されたのか、そのまま同じ番組から直接雇ってもらう事ができ、中間搾取が無くなったお陰でかえって手取りが増えたりするなど条件も良くなりました。ちなみにディレクターがテレビ局と個人契約を結ぶというのは、当時も今も異例の事です。ラッキーだったと言うほか無いでしょう。

この時、激しく思ったのが、どんなクソな会社でもつぶれてしまう会社よりはマシだという事。お金もそうだけど、一緒に仕事をしていた仲間も失ってしまうし、自分のキャリアや経験もそこで一旦ストップしてしまいます。どんなブラック企業でもワープア状態でも、倒産してしまう会社よりはマシなのです。

人間が幸せに生きる為に何が重要か? いくつかある要素のうちの1つは、間違いなく経済的な安定でしょう。飯を食い、子供を育て、夢を実現する。その為には、まず最初に最低限の衣食住が必要になります。お金があれば幸せが買えるわけではないけれど、幸せを構築したり維持するためには何がしかの原資が必要です。手っ取り早いのは現金ですが、原資には人的資本とかも自然資本とかもあると思っています。

少しそれましたが、会社が倒産した事から得た経験が、独立国家建設を考える上での基礎となっています。

続く

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