僕がヒッキーしてた頃の話

この記事は約8分で読めます。

そのうち書かなくちゃ、と思ってなかなか書けなかったんだけど、高校時代のある時、僕はヒッキーしてました。例によって、そんな真剣なヒッキーじゃなくて、なんちゃってヒッキーというレベルなんだけど。

それでも、その時の経験が今でも役立っているし誰かの役にも立つと思うので、今日はヒッキーしてた頃の話を書いてみます(長文)。だいたい4人ぐらいの知り合いに向かって書いてます。

   ※   ※   ※

中学を卒業した後、僕は埼玉で私立の進学校に入学しました。父親も姉も田舎によくある「地元で一番の公立校」に行っていて結構楽しそうで、僕もそこに行くもんだと思ってずっと育ってきたんだけれど、イザ受験となったら、どこでもいいから田舎を抜け出したくなって、たまたま合格したそこそこ偏差値の高い私立校にさっさと決めて、僕は公立の受験をせずに高校受験を終わらせたのでした。ま、これがそもそも失敗の始まりだったんだけど。

うまいことレベルの高い学校に潜り込んだのは良かったんだけど、入学して最初の中間テストで赤点を3つぐらい取って、「こりゃあかんわ〜」という感じで、僕は受験競争から速攻でドロップアウトしてしまいました。高校3年間振り返ってみて、赤点を取らなかった時なんて、1回か2回あったかどうか、ってぐらいそれはもう、赤点を取りまくっていました。

こうなると、進学校ってほとんどやることがなく高校時代は灰色の3年間といっても過言ではありませんでした。何しろ学校生活全体が受験の為に設計されているので「学園ライフを満喫」みたいな感じからほど遠く。しかも、入学した後で気付いたのですが、田舎はみんな公立高校が第一希望で私立に来るのは受験に失敗した奴ばかり。「何でオレはこの学校に来ちゃったんだろう……」なんて、周りはみんなクヨクヨしていました。僕はそんな奴らを内心軽蔑していましたが、そんな奴らよりも僕はテストの出来が悪かったのです。

さらに不幸な事に、学校は田んぼのド真ん中に立っていて、しかも男子校で、先生も全員男。遊ぶ場所も無く、女の子も居ない。そんな環境で、朝から夕方まで、受験以外には使わないであろう授業を受けさせられて、テストされ、赤点を取り、追試を受けるのです。もはや苦痛以外の何物でもありません。

それでも頑張って学園祭の実行委員をやったり、生徒会で副会長をやったり、村上龍の「sixty nine」を読んで革命に興味を持ったり現代詩手帖を読み始めたりして、何とか自分を誤魔化して高校だけはとりあえず卒業しておこうと思ってたのですが、ある時、限界が来ます。

  もう、なんか全部どうでもいいや

高3になって、大学受験とか高校生活じゃなくて、人生そのものが嫌になって僕は学校に行かなくなったのです。当時そんな言葉は無かったのですが、今で言う「心が折れた」ような状態です。

ちょうど実家を出て池袋で姉と妹と3人でマンション暮らしを始めていたので、親にも怒られません。最初のうちは6時間目が終わった後のホームルームだけ出て出席日数を稼いでいたりもしたのですが、そのうち本当に学校に行かなくなりました。

授業は受けても受けなくても結果は同じだったので、それはどっちでも良かったのですが、学校に行かないと、今度はやる事がありません。引っ越したばかりの池袋という土地には友達がいなかったので、毎日どこにも行かず、家でブラブラするようになります。ヒッキー生活の始まりです。家に引きこもって何をしていたのかといえば、本を読んだり音楽を聴いたりという事の他に、僕は「パソコン通信」にハマっていました。

パソコン通信というのはインターネットの前身みたいなもので、要するに管理人がいる掲示板みたいなものです。僕は他人が作ったサイトにアクセスするだけでなく、自分でも面白いサイトを2つほど立ち上げ、書籍にに掲載してもらったりしていました(今にして思えばこれが自分のPR活動の原点ですね)。

当時の高校生にとって、自由に大人と意見交換したり知らない人と交流できたりする場所はとても貴重で、僕は小説家やプログラマーや漫画家と知り合って、大いに刺激を受けていました。それだけではなく、僕はそこで知り合った28歳の女性社長さんから、パソコンのフォントを作るアルバイトまでもらっていました。

パソコンのフォントを作るという仕事(平成明朝とか作ってました)は、好きな時にできるし、学歴も関係ないし、自分は人より早く綺麗な線が引けたので、楽しかったのです。それは学歴社会をドロップアウトして家に引きこもっている中で、唯一といっていい生産的な時間でした。

その女社長さんの自宅兼事務所に出入りして、仕事だけではなく手料理なんかも奢ってもらいながら僕は段々と、「このままアルバイトしながら生きていくのもありなのかも」と段々と思うようになっていきます。

当時はバブル景気の入口で、会社に縛れれない「フリーター」という新しい生き方が注目されていた時期でもあります。分かりやすくいうと、ちょっと前の「ノマドブーム」みたいなもんです。

この頃の生活といえば、時々するバイトの時以外はやること無いからふて寝して、昼夜が逆転して過眠症になって、余計に元気が出ないからまたベッドに潜って引き籠もる、みたいな循環になっていて、さらに、これまたやる事がないから1日3回も風呂に入っているうちに潔癖症になりかかったり、という感じで、よく考えると、そんな人間がフリーターも何もあったもんじゃないですが。

とにかく僕は高校を卒業する事を諦め、フリーターになるべく本格的にアルバイトを始めます。その時のアルバイト先が、日本ソフトバンクの秋葉原担当の営業部でした。当時はまだADSLも携帯電話も扱っておらず、本とパソコンソフトを売る会社でした。平日の昼間、本当に学校に行かなくていいの? と訊かれましたが、「学校は辞めるつもりなので大丈夫です」と力強く言ったのを今でも覚えています。

僕はここで「仕事には自分の前と後のプロセスがあって、眼に見えないけどそこまで考えるのが大事」というすごく重要な事を学んだのですが、3日ぐらい辞めてしまいました。

なぜ辞めたかというと、当時の高校の担任から「内田、まだ出席日数足りるぞ。今から戻ればギリギリ卒業できるぞ」と言われたからです。

電話だったか、直接会って言われたのかは忘れてしまいましたが、結果的に僕はこの一言で僕はコロッと高校に戻ってしまいました。

当時、高校を中退するというのはかなり思い決断だったため、卒業する事は明らかにメリットがあったのです。それに、どのみちあと数ヶ月で卒業という終わりの見えた時期だったのも、戻る元気を与えてくれました。そして日本ソフトバンクの土岐さん、突然辞めてごめんなさい。あの言葉、今でも役に立っています。いつかお会いして謝りたいです。

   ※   ※   ※

でもまぁ戻ったら戻ったで、10教科中5教科で赤点を取って、古文の先生から、「お前、あと何科目赤点残ってるんだ?」と言われて、

 「あと4つです」

と答えたら、「そうか。まぁ頑張れよ」とだけ言って合格にしてもらったりとか、僕の成績は確か学年で下から2番か3番だったのですが、一緒に追試を受けているうちに、自分より勉強が出来ない奴に出会ってホッとしたりとか色々あるのですが、まぁそれはおまけみたいなもので。

そんなこんなで、まぁ何とか高校だけは卒業して、僕はこの後、本当にフリーター生活に入っていきます。当時、姉と妹と一緒に暮らしてたので何らかの会話をしていたはずですが、どんな話をしていたのか全然記憶にありません。これが男子校じゃなくて共学だったらまた違った展開になっていたと思うのですが、それは人生のアヤというもので。

   ※   ※   ※

今振り返って、数ヶ月のなんちゃってヒッキー生活をしてみて良かっなぁと思うのは、ヒッキーしている人の気持が少し分かるようになった事と、それと、世の中の大半の出来事は実はどうでもいい、という事が分かった事です。

ヒッキーしている人は孤独です。僕もヒッキーし始めた頃はなんかもう、自分が普通の人とは違う別世界に来てしまったような気がして、物凄い罪悪感がありました。自分は役に立たない人間なんじゃないかとか、存在する価値がないんじゃないかとか、ずっと思っていました。当時は電車に乗る時、黄色い線の向こう側、ホームの一番線路側ギリギリに立って、何かのキッカケにホームに落ちたり電車とぶつかったりして死ねたらいいのにと、いつも考えていました。

ヒッキーになるキッカケは人それぞれだと思うのですが、何かに打ちのめされてヒッキー生活を始める人が多いと思います。例えば僕だったら、学歴社会に生きる意味を見出せなかったりとか。本当はそこでルールを変えて、違う事を始められればいいんだけど、視野が狭かったり環境がそれを許さなかったりして逃げ場が無いと、ヒッキーになってしまうのだと思います。ああ、もったいない。

世の中の大半は実はどうでもいい、というのも同じで、それまで自分が「xxじゃなきゃいけない」と思っていたものも、本当は全部投げ出して捨てちゃえると、ヒッキーした時に分かりました。実際、僕は受験勉強をすべて投げ出しました。センター試験も、一応、受験料だけは振り込んだのですが、家で目が覚めたら試験はすべて終わってました。年に一度の試験を寝過ごす(しかも起きたのは夕方)というのは、普通は大失敗ですが、僕にとっては痛手でも何でもありませんでした。

要するに、世間一般の常識というのは、真実ではなかったのです。むしろ「世間体」みたいなものさえ気にしなければ、常識と呼ばれるものにとらわれないで生きている方が圧倒的に自由で楽しいと思います。

そして嫌な事を全力で投げ出し世の中の常識とかどうでもいいや、と捨て去った結果、僕はゼロベースで物事を考えられるようになりました。色んなしがらみを断ち切って、何もない状態から自由に物事を想像できるようになりました。そして僕の世界は広がりました。楽しく、楽になりました。

   ※   ※   ※

単にテストで赤点を沢山取った、という所から始まったクダラナイ引きこもり生活ですが、人生に無駄はないというか、人生は恐ろしいというか、ヒッキーしていた経験が、今の建国準備に意外と役立っています。だからって、ヒッキー万歳とかいうつもりはないんですが。

つまるところ、ヒッキーを抜け出すには、ヒッキーしているよりメリットがある状態を見いだせれば、抜け出せるのではないかと。ヒッキーのみなさん、頑張って下さい。

タイトルとURLをコピーしました