みんなでブログを書く会のVol.2というのを開催していまして、今回のテーマは「友達の結婚式に行った時の話」となっております。
自分の身近で最近結婚式を挙げた人といえば、かつて南砂のシェアハウスに住んでいた、ともえちゃんぐらいしかいないので、彼女の結婚式に行った時の事を書きます。
ともえちゃんは、僕が一番最初に運営した南砂のシェアハウスを一番最初に契約してくれた住人だった。だいたい半年ぐらい住んでいたと思う。
ともえちゃんはシェアハウスを出て都内でしばらく一人暮らしをした後、地元・名古屋に戻り結婚した。相手は年上の大学教授の方で、一度3人で飲んだ事があった。物静かで愛情の深そうな人だった。
式は2014年9月、名古屋の南山教会で行われた。ともえちゃんが通っていたカトリック系の高校の隣にあり、カマボコ型のとても大きな教会だった。僕は子供の頃キリスト教系の保育園に通ったので教会というものには馴染みがあるのだけれど、南山教会は全然スケールが違い、とても大きく荘厳で明るく綺麗だったのを覚えている。
式はともえちゃんの高校時代の恩師の先生が執り行ってくれた。確か恩師の先生は校長先生に出世されていたと思う。そしてもちろん、神父さんでもあった。十数年の時を経て、恩師に祝福される気分は、いくばくか。
純白のウエディングドレスを纏った久しぶりに見るともえちゃんは、やっぱりともえちゃんなんだけど、どこか少し遠くに感じた。旦那さんの方は、随分格好良く見えた。
こういってはなんだけど、所詮、人の結婚式なので、式そのものには大して思い入れはなかった。みんなに祝ってもらって幸せそうだな〜、ぐらいの感覚だった。
式が一通り終わった後、恩師の先生(神父さん)のお話をいただいた。2年以上前の話なので細かい事は忘れてしまったのだけど、人の縁についてと、どういう人と結婚したら良いか、という内容だったと思う。そして後者の事は今でも覚えている。
先生は「結婚相手を選ぶ時は、家柄が良いとか、仕事が出来るとか、顔が良いとか、お金持ちだとか、そんな事で選んではいけない」と優しく静かに語って下さった。その後に「ただ、あなたがそこにいるだけで良いと言ってくれる人と結婚しなさい」と説いたのだ。ありのままのあなたを全て受け入れてくれる人と結婚しなさい、という意味だったと思う。とても深い話だった。
でも、僕は少し疑問だった。そんな良い話があるのかな〜と。好きな人が出来たとして、条件が合わなかったら結婚出来ないじゃん、と思ったのだ。
例えば、昼間仕事をしている人と夜に仕事をしている人が結婚して、うまくいくのは難しいんじゃないかなぁと。好きな相手との関係を維持させるために多大な労力を使うのは、なんだか本末転倒のような気がしたのだ。
※ ※ ※
それから2年半が経って、つい最近、僕は結婚をした。相手は少し前からの知り合いではあったけど、つきあって1ヵ月ほどで結婚してしまったので、結婚式をどうしようとか、細かい事は何も決めていないし、どんな人なのかもそこまで詳しく知っている訳ではなかった。だから結婚してから相手の知らなかった部分に気づいて驚く事がしょっちゅうある。
お互い自分の運営するシェアハウスに住んでいるので、新居をどこにおくかは切実な問題だ。だいたい、シェアハウス運営者同士の結婚なんて聞いた事がない。条件でいったら、これほど合わない条件もなかなか無い。
じゃぁなんで結婚したのかと言えば、一言でいうならば、この相手と結婚できるんだったら他の事はすべて細かい事だと思えたから。大小様々な障害や条件はとりあえず一旦忘れて、ただこの人と一緒に居れたらいいな、と思ったので躊躇なく結婚しようと思ったのだ。
障害は取り除けばいいし、条件は変わるかもしれない。何よりも大切なのは、目の前のその人と一緒に居られる事なのだ。そして「あ、これって、あの時先生が言ってくれた事、そのまんまじゃん」と思ったのだ。
※ ※ ※
結局、新居問題に関しては、今のところお互いのシェアハウスを行ったり来たりしながら生活している。これについては、居場所が定まらないという不便な部分もある一方で、家が増え知り合いが増えて楽しいという側面もある。
この先の結婚生活にまだまだ沢山地雷が沢山埋まっている気がするのだけど、一度知り合ってつきあって結婚してしまった強力な縁があるので、なんとかなるんじゃないかという気がしている。
結婚というものは、お互いがお互いを結婚していると思ってさえいれば維持できるので、距離とか時間とか、あるいは社会的な承認の仕組みとか、どうだって良いのだ。ただ自分たちが結婚していると思えば、それで維持できるのだ。いつも先生の言葉が後押ししてくれるので、そんなに不安はない。
そんな訳で、人生二回目(ここがちょっと痛い)の伴侶を得る事が出来たのは、あの先生のお言葉があったからで、結婚式に呼んでくれたともえちゃんには大変感謝をしている。