家族というのは、儚い関係

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去年(2025年)の暮れに父親がカラオケの帰りに転んで膝の手術をし、入院した。

埼玉と群馬の県境にある病院まで車で往復3時間かけて面会に行き、話ができるのは、たった20分。病院の決まりなのだけれど、あまりにも短い。

60代半ばで東京マラソンを完走した父親だけど、もう80歳を過ぎているので、退院しても以前のようには歩けないと思う。

足腰が弱ると連鎖的にアチコチ弱って、そう遠くない時期にお迎えがくる事になる(といっても5年後とか10年後だろうけど)。

そうなると、元気なうちに会っておかないとなぁ、という気持ちになる。春になったら温泉にでも連れていく、という話をした。

今のうちに会っておかなきゃなぁ、というのは娘も同様だ。

春になったら関西方面の大学に入学し、一人暮らしをする予定。もっとも、高校の出席日数がギリギリなので、まだ予断を許さないけれど(父親そっくり)。

親権はないのに娘と一緒に暮らしたりする不思議な関係も、高校を卒業すれば終了。

そんな訳で、ちょっと気は早いけれど、親とも娘とも、ゆるやかに関係が終わっていく。

つまり、家族終了。卒家族だ。

振り返ってみれば、僕は中学卒業と同時に親元を離れてしまったので、「濃い」親子関係は物心ついてから10年ぐらい。娘とも、時期は飛び飛びだけど「濃い」関係を築いていた期間は同じくらい。僕には姉と妹がいるけれど、東京と埼玉で離れて暮らしている事もあり、会うのは年に1〜2回だ。

つまり、僕は人生の大半を家族とは離れて生きてきた事になる。

だから「家族愛」とか「親子愛」という言葉がピンとこない。大人になってからの「親子の会話」というのも、何を話したら良いのか分からない。正月に実家に帰っても30分ぐらいで何も話す事が無くなってしまう。なんというか、別に仲が悪いとかはないのだけれど、関係が薄すぎて話す事がないのだ。

そんな「薄い」親子関係が、これから「濃く」なる事もあまりないだろう。もしあるとしたら、親の介護ぐらいだろうか?

そうしてみると、家族と過ごす時間というのは、本当に短いんだなぁ。家族とは、何と儚い関係なのか(自分の場合)。

そういえば、大人になってから獲得する家族、つまり結婚相手も今では離婚相手になってしまっているし、普通の人よりはだいぶ短い家族づきあいになってしまった。

なんかまとまらないけど、僕にとっての家族関係って、良いとか悪いとか好きとか嫌いとかじゃなくて、「薄い」「良く分からない」「実感がわかない」という感じなのです。おしまい!

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